LWのサイゼリヤ

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18/6/20 劇場版艦これの感想

・お題箱39

61.講演見に行けないけど見たいんですけど

見たい人が見られないのは僕も悲しいので、どうにかしたいという気持ちはあります。

配信してくれとちょいちょい言われるんですが、映像媒体に記録されると少し話しにくくなるんですよね。
後から検証されても大丈夫なように喋らなければならなくなるので、誤解を招くことを承知でわかりやすさを優先した比喩を使うことや、大なり小なりイリーガルな内容を喋ることが難しくなってしまいます(「○○相手のサイドボードはレインボーライフでOK」みたいなことは対面なら言えますが、ツイキャスでは言えません)。もしやりたい人がいるなら止めるつもりまではないけど、僕の方から積極的に推し進める気持ちはないくらいの感じです。

まあ、僕は別に最前線にいるエキスパートではなく、本を読んだだけのパンピーですから、内容自体は十数冊の本の内容をジャンブルしてテーマに沿ってまとめているだけです。講義・講演というよりは輪講の方が近く、参考文献(終わったあとにまとめようと思います)を読んでもらえれば内容的には十分フォローできるはずです。

ちなみに、講義スライドと原稿をアップするような直接的な形で講義内容をこのブログに載せることは将来的にも無いです。理由は、著作権的に微妙・内容を曲解されると嫌・二次配付が制御できなくなると困る・せっかく来てくれた人へのバリューを保ちたいからなどです。

劇場版艦これ

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まず最初にテレビ放送版については2年前にポジティブな感想を書いた(→)のでその引継ぎから入ると、テレビ放送版で垣間見えたメディアミックスにおける主人公の扱いに関する新規性は劇場版では提督ごと完全にオミットされている(劇場版では開始数分で「提督は出張してる」みたいな言及をされて以降二度と出てこなくてちょっとウケた)。
それは「今回は触れなかった」というだけなので別にマイナス要因にはならないんだけど、前回は評価できた部分が完全に無くなってゼロに戻ったという前提で純粋に劇場版単独で見てどうなのという話になると……普通に面白くないですか!?

なんだか、すごく誠実で好感度が高い。
(俺は気にならなかったしそのままで良かったが)テレビ放送版の評判が悪かった部分のほぼ全てに対して可能な限りフォローをしつつ、(褒め称えるほどではないが)それなりによく出来たお話の中にきちんと回収していて非常に頑張っている感がある。別に新しくはないけど、よくやってる。キャラが可愛い分をボーナス加点すれば85点くらい。
特に頑張ったと思う理由に「ラスボスの処理を頑張っていた」というものがあるんだけど、そのために「ラスボスの処理をどうするのか問題」についてから書く。

「ラスボスにありがちなキャラとその動機11選」というオモコロ記事(→)が俺はかなり好きで、ラスボス編に限らずこの記事シリーズはとてもよく出来ている。
というのは、よくある展開やキャラについて徹底的に解体して分類ないし法則化してしまうことで、もうそれらの要素がマンネリ化していることを明らかにしているのだ。分類という行為は分類される要素がカテゴリとしてまとめて扱える程度に似通っていることが前提になっているため、分類が可能になった時点で、要素のオリジナリティは既に失われていることが確認されてしまう(逆に言えば、本当に新しくて現時点でその作品しかやっていないような展開は、まだどのカテゴリにも含まれないので分類ができない)。

補足131:1990年頃に「サルでもかける漫画教室」がやってみせたことと同じで、その現代版と言える。「サルまん」は一見するとワナビ向けの漫画講座の漫画だが、「よくある展開」を次々に法則化してみせたことで漫画のマンネリ化を指摘したところに大きな価値がある。実際、竹熊健太郎の「もう漫画は終わったのではないか」という問題意識の下で書かれたという経緯がある。

この記事を一度読んだら、たまたま見ていたアニメのラスボスが主人公の父だったときに「これあのパターンじゃん……」って萎えるようになってしまうでしょう。それが法則化による陳腐化ということで、基本的に作品の評価を押し下げるのであまり良いことではないのだが、カテゴライズされる程度に同じネタを使ってしまっている制作サイドとの痛み分けではある。

俺もこの記事の分類に完全に当てはまらないラスボスはあまり考え付かないんだけど(ちなみに俺が一番好きなラスボスは純粋悪タイプ)、だからといって世のラスボスの全てが陳腐化を等しく被っているわけでもない。
例えばファニー・バレンタインは典型的な「創造主タイプ」のラスボスではあるが、だからといってジョジョ七部を最後まで読んで「これよくあるパターンの陳腐なラスボスじゃん」という冷めた感想を持つ読者はあんまりいないと思う。それはファニー・バレンタインが安直なカテゴライズに回収されない固有の存在感を獲得しているからで、特別に魅力的なキャラは普遍化を受け付けないのだ。我々がファニー・バレンタインについて喋るとき、それはファニー・バレンタインという特別な人物一人について喋っているのであって、別にファニー・バレンタインのような人物の類型について喋っているわけではない。

もうちょっと一般的には「類型に回収されない作品固有の特殊性を立たせることで陳腐化は回避できる」という言い方ができるが、大抵の場合、(先に挙げた例がそうである通り)作品固有の特殊性とはキャラクターの魅力とほぼ同義である。我々のキャラクターに対する執着は、他に対するそれと一線を画しているところがある。キャラクターとして特別だから、そのキャラが特別好きだから(or特別嫌いだから)という理由で普遍化は回避される。敵キャラにも舞台装置ではなく人間としての事情を付与するという意味で、群像劇的な作り方をするとも表現できる。

少し脱線するが、それを踏まえると、ラスボスが美少女である場合は陳腐化は簡単に回避できる(美少女は魅力的なため)。よって、敵味方共に美少女という美少女バトルコンテンツは(幸いなことに)分類に伴う陳腐化に対して一定の抵抗力を持つことになる。
今期好評放送中の刀使ノ巫女では、前半クールではラスボスがギョロギョロの化け物だったのに後半クールではそれが三人の美少女に分裂したのが興味深い。ラスボスのモチベーション自体は大して変わっていないのにも関わらず、美少女化したことで人間ドラマに組み込まれて陳腐化の回避に成功している。
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(前半クールで化け物ムーブをしていた頃のラスボス)
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(後半クールで美少女ムーブを始めたラスボス)

深海棲艦が美少女かどうかは微妙なラインだが、基本的に意思疎通不能で内面を持たないっぽいことを鑑みるに、化け物寄りのような気はする。いやでも、昔ヲ級がコンプティークの表紙になってたし美少女か?
まあどっちでもいいが、とにかくラスボスが化け物の場合にはキャラクターパワーによる陳腐化の回避という方法が使えないので、どう収拾を付けるかはかなり難しい。原作ゲームでは深海棲艦についてはあまり深く語られていないらしいし、あんま触れずに終わるのかな?と思っていたが、劇場版では完全な元凶まで踏み込んでいる。

補足132:「完全な元凶」という表現の含意について。
ジャンプ漫画の引き延ばしとかで顕著だが、元凶を倒したと思ったらその黒幕の元凶2がいて……という展開を繰り返すパターンはよくあるので、「もうこれ以上どうやっても元凶はない」という最後に行き着いた地点を「完全な元凶」と俺は呼んでいる(これは因果関係としての連鎖であり、「別の事情で現れた別の新しい敵」とは異なることに注意)。
引き延ばしているうちは謎が残っているのでわりと面白いのだが、完全な元凶に辿り着いてしまうともはや謎が無くなり、ラスボス一覧に当てはまるような陳腐な敵になってしまうということはよくある。最近読んだ中だと、「エニグマ」がそのパターンにハマっていた。


結局、艦これにおける戦争は実は弔い合戦の内輪揉めだったというストーリーであり、あえて言えば「ラスボスなんて本当は最初からいない」パターンと呼べる。
これは別に新しくはないが、新しくはないが(強調)、それなりに高級な展開だと思う。加賀さんが終了条件(=こちらが一隻も沈まずに相手を全て沈める)をきちんと把握しているあたりに闘争の枠組みとしてのソリッドさがあるし、艦娘は元々船だから沈んだときの絶望を覚えているという物悲しさも歴史観に照らしてまあ妥当だろう。

補足133:艦娘という名前、マジでダサいので同義の別名称を用意した方がいいと思う。

この枠組みの中でテレビ放送版最終話付近で吹雪が謎にキーパーソンっぽい顔をしていた理由をきちんと論理付けし、主人公らしくトラウマを乗り越え(吹雪の活躍シーンがそこくらいしかないので唐突すぎるという演出上の問題はあるが)、それが直近の問題の解決とも連動し、ついでに如月に事態の進行指標と最後のまとめ係としての役割を担わせ、三話で沈んだ件への丁寧なアフターフォローにもなっている(最後に如月が帰ってくる前に一応一回沈めといたのもえらい)。
比較的こなれた展開を導いた弔い合戦設定は、全方面に渡って問題がないのだ。どこまでいっても「問題ない」止まりではあるが、様々な要素に対してご都合に流されずにきちんと貢献しているので好感度が高い。

テレビ版最終話放送終了直後に劇場版アナウンスがあったことを考えれば、テレビ版の脚本を書いている時点で劇場版の脚本も書いていたんだろう。テレビ版でバッシングを受けた吹雪と如月の扱いが劇場版で完璧に回収されたこと自体は別に誠実さではないかもしれないが(既定路線かもしれないが)、提督の唐突かつ完全なオミットは誠実さと頑張りじゃないか。いやまあ、提督は役割を一切持たないので(それこそがテレビ放送版の特異性だったわけだが)、展開的にいようがいまいがどうでもよかったのかもしれないけど。

一つだけ引っかかったのは、吹雪が帰港するときに黙ったまま砂浜に艤装をガシャガシャ捨てながら歩いてブーツまで外そうとしたのは何だったんだろう。
俺は吹雪が艦娘と深海棲艦の起源である二面性を克服したために艦娘としての力を失ったかモチベが無くなったかで普通の女の子に戻るんだろうと思って見ていたんだけど、直後に赤城(テレビ放送版なら提督だったんだろうな)が話しかけてきたせいでウヤムヤになって最後には普通に出撃してしまった。
艤装をその辺に捨てながら歩いていた時点では艦娘を辞める予定だったが赤城に絡まれてちょっと思い直して続けることにした……的な解釈が俺は好みだが、ただの深読みかもしれない。