LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

26/3/8 2026年2月消費コンテンツ

メディア別リスト

漫画(3冊)

パペット・イン・ザ・シティ(全3巻)

アニメ(43話)

機動戦士ガンダム(全43話)

書籍(3冊)

現代レトリック事典
イマイチはなぜ生まれるのか
キャラクターの顔は「顔」なのか: キャラ顔認知の心理学的研究

ゲーム(1本)

カオスゼロナイトメア

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機動戦士ガンダム
現代レトリック事典

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カオスゼロナイトメア
キャラクターの顔は「顔」なのか

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

イマイチはなぜ生まれるのか
パペット・イン・ザ・シティ

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

(特になし)

ピックアップ

カオスゼロナイトメア

記事を書いたのでそちら参照。
saize-lw.hatenablog.comこれで一旦プレイに一区切りとして、今後はめちゃ好きな美少女キャラとか再開に値する何かが出てきたら復帰する感じでいきたい。
俺はストーリーとキャラが両方良ければソシャゲを継続できる派閥だが、逆に片面だと厳しいことが最近わかってきた(スタレは両面あるので続いている)。

機動戦士ガンダム


超かぐや姫を見るためにネトフリに加入したが、元が取れたかどうか若干微妙だったのでついでに見た(でもプライムビデオにもあったので別にネトフリで見なくてもよかった)。劇場版三部作で済ませたやつに勝つために全話ちゃんと見るという謎のアニメ戦闘民族マインドがまだ残っている。
実は大学生の頃にも全話見たことがあるが、今の方が圧倒的に楽しめた。というか当時は話を何も理解していないままエアロバイクを漕ぎながら垂れ流しているだけだった、人が死ぬシーン以外は何一つ覚えてなかったからな。

ずっと連邦軍の傘下として嫌々移動しつつたまに襲ってくるジオン軍をやむを得ず撃退しているだけという極めて受動的なフォーマットは時にかなり退屈ではあるが(特に地球をウロウロしている中盤あたり)、しかしそのあたりがこの作品の良さと直結している。
ホワイトベースの人たちは(時にはジオン軍の一般兵士も)積極的に戦いたいわけでは全然ないのだが、現実問題として戦時下で生活していくためには戦わざるを得ず、かといって本当に嫌なことを無理強いされているというほどでもなく、なんとなく妥協点を見つけて戦争に参加している曖昧な温度感がすごい。
アムロだって出撃するたびに文句を言っている割にはランバラルやシャアにはどうしても勝ちたいポジティブな感情を抱いたりもするわけだし、戦う中で天性の才能を発揮して他のクルーに感謝されるのはサイド7で機械を弄っているよりはずっと善いことかもしれない。

厭戦的な雰囲気が蔓延していながらも反戦アニメという感じでもないのは、そういう「適応」という軸で戦争を描いているからだ。戦争の中に暮らしが、暮らしの中に戦争があって、その中では一定の忌避感と自己実現が並走している。
ファーストが放送された1979年はまだ戦後34年しか経っていなかったわけで、2026年の今で喩えると1992年に相当する位置までは第二次世界戦争をやっていたのだと思うと、まだ戦争と生活が地続きであるリアルな感覚も残っていたのかもしれない(まあ戦争じゃなくても仕事とか人生って割とそういうものだよな……と思うのは加齢の影響でもある)。

戦争に対して善悪とか賛否ではなく適応という軸で描かれているが故に、戦時状態が解消された先の予感には単なる平和ではなく「ニュータイプ」というスピリチュアルなイメージが現れるのも分かる話だ。
戦争にも順応して生活していくのが人間なのだとしたら、単に戦争を否定するのではなくむしろ極限まで戦争に適応した果てにしか戦争を越えたものは生まれてこない。完全に戦争に適応したそれは、ある一面では超人的な戦闘能力を持つ一方で、生命のやり取りによって善悪や派閥を越えた何かを感じ取れたりもする。
戦争という究極の否定、そして適応という究極の肯定。その対極の中にニュータイプがいるのだとしたら、後世の作品においても決して完全な定位を許されずに揺れ動く存在でいることにも納得がいく。

玩具販促のエンタメアニメとして見ると、生活から隔離された趣味の領域ではなくむしろ生活の中にそれを持ち込んでいくのはアンサーとしては率直に異常だし、その辺りに全く新しいものとして時代を築いた感性があるのだろう。

現代レトリック事典

Twitterで見かけて良さそうだったので購入。
600ページあるけっこう厚い本だが、読み物っぽい書き口なので割と軽く読める。最近気付いたが、事典ってふつうに読書の対象として全部読んでもいい(いま他にも1000ページ以上ある哲学事典を毎日少しずつ読んでいる)。

名前に違わず様々な日本語のレトリックが非常によくまとまっている。
初めて知ったレトリックがあるというよりは、無意識に使っていたものがきちんと名前付きでチャンク化して認識できるという感じ(一度も使ったことがないレトリックはたぶん一つもない)。単に定義や用法をいくつか挙げるだけではなく、機能や効果や派生や例外について地に足の付いた論理でしっかり深堀りして解説してくれるので勉強になる。
特に冒頭に固まっているシミリー、メタファー、メトニミー、シネクドキの比喩シリーズについての論考は非常に面白かった。この四つは定義だけはどこにでも書いてある割に、「結局本質的な違いはどこにあって、いつどうやって使い分けると有効なのか」があんまり掘り下げられないので理解が上滑りしがちだ。その点、この本ではそれぞれの狙いや要素間での連携についても完全に理解することができた。

マクロな論理構造というよりはミクロな文章の上手さを扱い、それも単なる文法的な解説ではなく使い方の巧拙にまで踏み込んで底上げしてくれる本は実はあまり思い当たらない気もするので、上手い文章を書きたい人にはかなりオススメできる一冊。
分量的には頑張れば2週間もあれば読み終わる程度なので大したことはないが、入手方法がややネックだ。図書館では事典扱いで禁帯出になっていることが多く、俺はやむを得ず新品で購入した(しかし一度通読して頭に入れれば十分で、手元に置いて何度も開くイメージはあまりない)。

キャラクターの顔は「顔」なのか: キャラ顔認知の心理学的研究

ネットで僅かに話題になったが誰も読んでいない本。博論社のオンデマンド出版なのでほとんど流通しておらず製本から発注しなければならないが、言うてAmazonで普通に買えはする。

「アニメとか漫画でのキャラ顔とリアルの顔って何が違うんだろう」というテーマについて数量的な証拠を集めてコツコツと分析している認知心理学の研究論文。
主にはリアル顔でよく知られている知見がキャラ顔にどのくらい/どのように適用できるかを改めて調査している。具体的には顔面倒立時の把握、順応の影響、平均顔の評価、相貌と性格の関係など、リアル顔でよく知られた効果がキャラ顔でも再現するかどうかをアンケートによる回答サンプルで分析する。
暫定的な結論としては恐らくリアル顔とキャラ顔は概ね同じ認知方略が採用されているらしいほか、「キャラ顔の認知の仕方はオタク度とはあんまり関係ないらしい」という副次的な知見などもなかなか面白い。

ただ著者自身も弱みの一つとして言及してはいるが、素人目にも博論にしては調査リソースがかなり貧弱な印象は受ける。
(少なくとも先行研究では神経系の生理学的な知見が援用されている割には)分析対象がその辺の学生数十名という卒論レベルの質と量に留まっているのはだいぶ寂しい。一般に認知において対象への親しみ度合いが非常に重要であることは何度も言及されているのだし、いくらオタク度合いの程度に差があるとはいえ、社会的には均質な集合に対する知見がどの程度一般化できるのかにはかなり疑問がある。更なる調査として二次元キャラクターにはほとんど触れていない農村の老夫婦や、逆に第一線で活躍するクリエイターのような歴戦オタクへの調査も期待したいところだ。

とはいえ、これだけオタクが増えた昨今においても(先行研究セクションを信じるならば)ほとんど研究されていないキャラ顔の扱いに対して変な哲学やポエムではなくしっかり認知的な観点から先鞭をつけた意義は大きいと思う。
有識者の友人が「少なくとも現状では認知心理学的には興味深いトピックではない」というのもわかるのだが、俺は別に認知心理学の輩ではないため扱われているトピックに興味津々なだけで十分すぎる。「なぜ自分は美少女キャラが好きなのか、それはリアルの人と何がどう違うのか」というオタク一丁目一番地の問いに定量的にアプローチしている点で非常に好感度が高いし、これを呼び水にしてもっと研究が進むと嬉しい。
なぜか著者はまえがきで「もう満足でござる」みたいなことを言っていたが、俺は心から応援しているのでもっとリッチな研究環境で是非ともこのまま発展させていってほしいところだ。

補足657:「二次元キャラが好き」というオタク的な嗜好を学術的に扱う分野には社会学文脈でのフィクトセクシュアル界隈も存在するが、そちらはよくあるマイノリティ運動のバリエーションとして自己側の分析というよりは他者からの被害報告がメインとしているので個人的には関心がない。認知心理学方面からのアプローチへの期待が相対的に大きいのはその反動という節もある。

イマイチはなぜ生まれるのか

『Q.E.D.』の作者が書いた創作論系の本。
「こうするとよい」じゃなくて「なんでダメになるのか」という切り口が面白いと思って買ったが、薄い新書1冊なのに1500円くらいして書籍高騰の流れを感じる。

内容自体はそれなりに納得できた。作品の内容がどこかで見たようなものに収束してしまうのは一定やむを得ないことで、それを超えるためにはディテールで差を付けられるように好きなものを大事にした方がいい、というのは確かにそんな気はする。

補足658:厳密に言えば、個人的には心から本当に好きであることは十分条件であって必要条件ではない気もする。つまり好きではないものをさも好きであるかのようにディテールを磨き込むことや、めっちゃ好きというほどではないものをそれなりには好きになれるように努力することも同じくらい有効だと思っている。

ただ全体的にあまり合理的ではない推論を飛躍して繰り出す独自研究的なノイズが多すぎるのはやや気になった。
進化心理学的なロジックを筆頭に、図画とプロットのようなタイプが異なる対象に同じ認知理論を適用してみたり、「ほんまかいな」と思う箇所がかなり多い。
とはいえビジネス書くらいの水準だとこれで十分だろうし、客観的な説得力を求める文章というよりは、実績がある実務家が「私はこういう理解をしている」という宣言だと思って差っ引いて読めばそこまで気にならない。

パペット・イン・ザ・シティ

質問箱でお勧めされたので読んだ。

悪くはないが、内容に対して三巻分の紙面を読むコストが高すぎるように思えてならない。不穏な雰囲気でTwitter広告を打って流入した層を繋ぎ止めるために不穏な引きを極限まで引き伸ばしている感じで、そこまで溜めた割にはそこまで大したオチでもないあたりがたまにある低予算映画みたいだった(本当にやばい状況をちゃんと撮影するお金はないので、「何か部屋の外とかでめっちゃやばいことになっているらしい」という不穏な雰囲気だけで尺を埋めることで予算を節約している低予算映画は割とよくある)。

薄味だが話自体は嫌いではない。子供の頃にはあんまり見えないけど現実的な社会の回り方と自分の役割を知る段階っていうのはあるよね。これ読み切りにまとめることは出来なかったのでしょうか?