LWのサイゼリヤ

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24/9/15 お題箱回176:歴史の再現性etc

お題箱回176

1224.「理系の研究に興味が持てないのは誰がやっても答えは同じ〜」というバズツイにLWさんが反応されていたのは、自然科学と決定論の視点からという理解で合っていますか?
このツイート、引用欄はじめ「そこまで言うか」というコメントが多くて、理系出身のLWさんが同意気味だったのが記憶に残っています

違います。
確かに理系勢力は決定論的な自然科学観みたいな話をしている人が多かったですが、僕がしていたのは人類史における代替可能性の話です(実験の再現性ではなく歴史の再現性の話)。

まず「この人類史においてある偉業を達成した人」がいたとして、それには「その人にしかできない偉業を達成した人」か「誰でもよい枠にたまたま入った人」かという区別があります。
例えば「金閣を建てたのは誰か」という問いには二つの答えがあります。一つは「足利義満」、もう一つは「大工のおっさん」ですが、一般に「大工のおっさん」が誤答とされるのはそちらは「誰でもよい枠にたまたま入った人」に過ぎないからです。
実際、もし仮にその大工のおっさんが金閣の竣工前に事故死していたところで建設工事は別のおっさんが請け負うだけで、依然として金閣は建っていたでしょう。まさにその大工のおっさんでなければいけなかった事情は特になく、大工の技能があれば誰でも構わなかったのです。
一方、足利義満が金閣の竣工前に事故死していれば恐らく金閣は建たなかったと思われます。彼が金閣建立というイベント有無の最終分岐権を握っていたからこそ彼が金閣を建立したことになるのであって、大工のおっさんが誰でも良かったこととは明確に違います。

補足551:これは比喩であって歴史学的な主張ではないのでそういうものとして受け取ってください。例えば、実際には金閣建立には超特殊な技能を持った大工の達人が必須だったのかもしれないし、足利義満に限らず当時の権力者は「金ピカの寺院みたいなやつ建ててえなあ」と思っていたのかもしれませんが、一旦そういう可能性を除外するということです。

同じようなことは研究にもあります。つまり「この人類史においてある研究成果を発表した人」がいたとして、それは「その人にしかできない成果を発表した人」か「誰でもよい枠にたまたま入った人」かという区別があります。
前者は適当な偉人によるイメージが容易だと思うので、後者についてのみ補足すると、例えば卒業論文や修士論文の研究ではそういうことがよくあります。「ある領域において最近の動向を踏まえるとちゃんと調べた方がいいけどまだたまたま誰もやってない」という穴埋め作業みたいな研究が一定数あって、それが最近研究室に入ってきたB4の田中君に初心者向けの研究テーマとして割り当てられたとします。これはもし田中君がいなかったとしても代わりに山本君が論文にするだけなので、やはり大工のおっさんと同じく「誰がその枠に入るか」という話でしかありません。

重要なのは、この区別は誰も実証できないことです。歴史を改変した検証は誰にもできない以上、これは感じ方の話を出ません。
例えば、「誰でもよい枠にたまたま入った人」と思われていた人が、神の視点から見ると実は「その人でなければならない人」だったという可能性は常にあります。金閣の工事にしても、本当はこの人類史においてたった一人の大工のおっさんしか持っていなかったオーパーツみたいな技術があって、しかもそれが金閣の建設には必須であり、そのことはおっさん自身を含めて誰も認識していなかったから記録されなかったに過ぎないのかもしれません。田中君の穴埋め研究にしても、誰も読んでいない論文の考察セクションには全人類のうち彼一人にしか着想できないアイデアの端緒が記されており、すぐに脚光を浴びることこそ無かれども人類史の決定的な成果が生み出されていたのかもしれません。
もちろんこれには全く逆のパターンも有り得ます。つまり、アインシュタインだって実は「たまたまその枠に入った人」でしかなくて、もし仮にアインシュタインが不慮の事故で若くして亡くなっていたとしても、ンイタュシンイアみたいな名前の別の人が光電効果と相対性原理を思いついて全く同じ科学史がそのまま進行していたのかもしれません。この世界の時間軸は一つしかない以上、歴史と人間のどちらが先立っていたのかは誰にもわかりません。

いずれにしても、この区別が歴史認識に依存することを踏まえると、特に自然科学研究には代替可能そうな趣が漂うことは理解できます。というのも、近代的な自然科学観では「科学は良い方向に進み続ける」という単線的な成長イメージが強いからです。
卑近な例を挙げると、情報分野では「ムーアの法則」というものがあります。これは乱暴に言うと「ICチップの性能は2年ごとに倍になる」みたいな法則であり、最近は怪しいですが2010年代前半くらいまでは維持されていました。2年おきに性能を倍にする際には最先端の半導体研究者が頭を捻って質的に異なる色々な工夫を絞り出していたわけですが、しかし結果としてはムーアの法則という予言を維持する予定調和が進行したにすぎません。つまり先にムーアの法則があって、たまたま各時代に生きた研究者がそれを実現する枠に入っただけではないかという歴史観は可能です。

別に僕自身がそう思っているわけではありませんが、そのような意味で理系研究は人類史に先んじて確保されたプレースホルダに誰の名前を代入するかという営みでしかなくて、「誰がやっても同じではないか」という無力感を抱くことは理解できます。

1225.エッチな音声コンテンツはどういった時に聞きますか?

シコるとき以外あるんですかね? と思いつつ、人によっては通勤中とか勤務中にも聞いているらしいです。

1226.受験で古文・漢文を学ぶ意義は有るのでしょうか?
論理的思考の養成でも無く、日本文化の理解としても日本史を学ぶ方が実益が大きいと思います。
個人的には好きな科目ですが、選択科目にして好きな人が学べるのが良いのではと思っています。
お考えをお聞かせください。

僕も古文・漢文教育は廃止した方がいい派です。受験に限らず小中高教育カリキュラムから弾いていいです。
当時に特有の思考法や風俗を知ることは有益であるにせよ、仰る通り日本史の文脈で扱えばよくて、文法レベルでの緻密な読解を行う必要はないでしょう。無限に時間があるならやってもいいとは思いますが、短い教育過程の中で決して小さくないボリュームを占めていることは甚だ疑問です。
補足552:こういうことをTwitterで言うと、教科書の上を歩く蜘蛛よりも教育について考えたことがなさそうな亜インテリたちが是か非かの1bitしかない思考メモリをフル作動させて「教養の軽視」みたいなことを言って寄ってたかって叩いてくるのがめちゃめちゃムカつきます(ひとつ前のお題箱で「もうネットでムカつくことは基本ない」みたいなこと書いたけどこれは例外)。
小中高以外で知識を得ることのない方々にはわからないかもしれませんが、小中高教育カリキュラムからの消滅は学術分野自体の消滅を全く意味しません。教育過程という極めて限られた時間の中で、子供や社会の幸福や合理に鑑みて人類史が積み上げてきた膨大な知識の中からベースラインとして国民に担保すべき極々僅かな知識をどう取捨選択していくのかという話をしています。

 

1227.KVがここから逆転満塁ホームランを放てるパターンって何かありませんか?シルエットだけのキャラクターたちも含め、あれだけの魅力的だっただろうキャラクターたちとストーリーが荼毘に付されてしまうのは残念です

あるかないかで言えば全然あると思います。
そもそも今回の撤退判断はそこまで再起不能なものには見えません。組織内部人事レベルのゴタゴタがあって顧客感情が怪しくなった程度で、別に反社が絡んでたとかハラスメントが横行してたとか未払いや詐欺の温床だったみたいな本当に取り返しのつかない犯罪的な要因までは関与していません。組織を立て直して顧客感情がケアできればリブートできる程度の話です。あとゲーム画面が全く出ていなかったあたりゲーム本体まではまだ開発があまり進んでいなかったのではないかとも思っていて、結局一番高いのはそこなので傷が浅いうちに損切りしておいたのかもしれません。
こういう話は結局のところ本人たちのやる気次第ですが、そちらに関しても同人方面では似たようなプロジェクトを続けていくつもりらしいですし、同人でやっぱり人気が出てきてやれそうだからやっぱやりますみたいな展開はかなり有り得るように感じます。

1228.メッチャいい体になってますね!筋トレメニューは昔公開していたものから変わってませんか?今は何kgくらい挙げてますか?

ありがとうございます!
昔公開した筋トレメニューがどれなのかわかりませんが、ずっと自宅トレで適当に各部位を鍛えているだけなので大きくは変わっていないと思います。重量は部位次第ですがダンベルプレスで25kg弱くらいです。

1229.過去のブログを読んでいたら見つけました llmが生まれた後でもこの考えは変わってないですか?
ディープラーニングとllmの根本原理が同じであれば考え変わらないのは自明でしょうが、門外漢なのでよくわかってないです
llmはディープラーニング同様、人間を模したものという認識で良いのでしょうか

俺が危惧していたのは人間以前の世界vs人間の作った世界という対立の中で言語の定義という営みが前者に吸収されることなのだが、ディープラーニングは後者に属するために世界のルールに影響を及ぼすものではなく、あ~良かった良かったという感じで終わる。

これは「ディープラーニングないしLLMが提出した新しい知見は人類の恣意的な認識ないし存在の枠組みを超えた何らかの必然性を持つのか」という問いで、答え自体は今も昔もNOですが理由は変わっています。
昔は「ディープラーニングは人の神経系を模しているから」と言っていたのですが、過去の俺はこんなに愚かだったのかとちょっと驚きました。ニューラルネットはあくまでもモデルであって別に複雑な神経系と同じ作動をしている保証はないし目指してもいないのでこれは比喩以上の話ではありません。
今は「ディープラーニングやLLMで用いられる表現形式は人間のそれを流用しているから」が答えです。結局人間が理解できるような表現形式でデジタル化したデータを扱っているだけで、事物そのものを扱うわけではないからそのレイヤーでのバインドは逃れられないということです(カントが言ってたカテゴリみたいな話)。

1230.ノートPCはどれぐらいのスペックのものを使ってますか?

ノートPC代わりに10.9インチiPad(第10世代)を使っています。Apple製品のスペックはよくわかりませんがブログとTwitterくらいにしか使わないので全く問題ありません。


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