LWのサイゼリヤ

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18/4/30 LWが選ぶオススメオタク本15選

・お題箱37

58.ブログ結構好きで全部読んでます。学のない質問で申し訳ないのですが、『戦闘美少女の精神分析』のようないわゆるオタク学(?)についての書籍で他になにかオススメはないですか?オタク的思考もしくはオタク・オタク文化に応用できるような内容のものでも大丈夫です。

おお、ありがとうございます。
今まで書籍を紹介するのは(僕の文章の「ネタ元」が割れて恥ずかしいので)やや意識的に避けてきたところがあるのですが、そろそろやろうと思います。
ただ、何度も言う通り僕は理系の人間ですから、理学書以外の本を読むのは単なる趣味に過ぎず、ソリッドなバックグラウンドではなく僕自身の興味に基づいた読書であることにはよく注意してください。オタク学界隈(って何?)での常識的な本を挙げるとか、そういう趣旨のことはできません。思い出せるだけ挙げていきます。

おすすめ度
☆☆☆☆☆:必読
☆☆☆☆:強くオススメ
☆☆☆:弱くオススメ
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戦闘美少女の精神分析:☆☆☆☆


内容はオタク論全般と(未だにオタクの定義は諸説あるのでオタク関連の本はまずオタクについて定義していることも多いです)、戦闘美少女についてです。戦闘美少女というのは「強い女の子」、戦闘に参加する能力を持つ美少女という、オタクに特有のキャラクター類型のことです。
タイトルにある「精神分析」は喩えではなくマジの意味です。著者の斎藤環は本職の精神科医であり、学術的な精神分析理論を適用します。そのため、いきなりこの本から入るのは少しハードルが高いです。一般オタク論の部分は普通に読めるのですが、戦闘美少女に関わる中核の部分でいきなりラカン精神分析理論の知識が要求されるので、ラカンの勉強をしてからトライした方がいいでしょう。

・疾風怒涛精神分析入門:☆☆☆☆


半年前くらいに出た新しい本です。これは別にオタクの本ではないですが(でも表紙は結構オタクっぽいですね)、ラカン入門はこの本が一番読みやすくていいと思います。
著者の片岡一竹さんはまだ二十前半の大学院生と若く、「たかが大学院生が学術的な解説本を書けるのか?」という攻撃的な好奇心のもとで読んだのですが、例が身近で理解しやすいですし、話の流れもしっかりしていて、非常にわかりやすくて感服しました。

・生き延びるためのラカン:☆☆☆


戦闘美少女の精神分析」の斎藤環本人によるラカン解説書はこっちです。
話し言葉で読みやすくはあるのですが、やはり本職の精神科医が書いただけあって内容的なボリュームが多く、「疾風怒涛~」の方をまず読んでからこちらに進んで、次に「戦闘美少女~」というのがスムーズだと思います。

動物化するポストモダン:☆☆☆☆



「オタク思想本」みたいなやつで一番有名なのってこれですよね。東浩紀、もう彦摩呂と見分け付かないけど大丈夫なんですかね?
この本では「社会学的に言うポストモダン状況の中でオタクはどういう立ち位置なのか」という文脈の下でオタクの洞察が行われています。しかし、「リアルのゆくえ」で大塚英志が「この本、皆オタク部分しか読んでないよね」というような不満を述べていた通り、社会学的な文脈が無視されてキャッチ―な美少女ゲームの考察ばかり(オタクパートばかり)が流布しているという節はあります。
そもそもタイトルからして「オタクは美少女に動物のように反応するだけのバカ」と理解されがちで、まあそれは正しいと言えば正しいんですが、あくまでもポストモダンという状況の中で人間の在り方がどう模索されてきたかという文脈の中に置かなければ誤読です。それを避けるためには、まず最初にポストモダンの勉強をしてから読むのが安全でしょう。一応本文中にポストモダンの解説はありますが、十分ではないと思います。

・知った気でいるあなたのためのポストモダン再入門:☆☆☆


ポストモダン関連の本はあんまり読んでいないんですが、入門書を勧めるならこれですかね。文章は軽いし図や例も多いので詰まるところはないでしょう。
同著者の「知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門」も読んだ印象として、この著者は入門書を書く割には少し自分の意見を反映しすぎる節が恐らくあるのですが、その分文章の流れが情熱的で身に迫るものがあって理解しやすいです。変な人が自論を一般論と勘違いしているのであれば問題なのですが(Twitterではよくありますね)、この人はちゃんとした職業学者なので安心です。

この著者の高田明典という人、個人的に非常に好きなんですよね。昔ある夏の日、時間潰しにブックオフをタラタラ歩いてたら「エヴァの遺せしもの」という放送当時の考察本を発見して立ち読みしてたんですよ。


(これは読んでもいいけど別にオススメはしません、☆一つ)

個人ブログ集みたいなもので、色々な人が思うところを好きなように書いて寄稿している本なのですが、高田明典の文章だけ異様に浮いています。

アニメやコミック(漫画)に関する「評論」の類は数多く出ているが、そのなかで「批評」と呼べるようなもの、もしくは「読む」に値するようなものがどれくらい存在するかというと、周知のとおり暗澹たる状況である。

から始まるブチギレ全方位攻撃をしばらく続けたあと、構造主義的神話学の手法をエヴァンゲリオンに適用する論文を書いて、22項にも及ぶ注に加えてバルトやプロップへの参考文献を付けて終わっています。この本でこの人だけですよ、そんなことしてるの。なんかすげーやつおるなと思って巻末の人物紹介を見たら、他の人たちがみんな十行くらい使って略歴とかコメントとか書いてるのにこの人は「一九六一年生まれ。」の九文字しか書いてない。マジでなんなんだこいつはと思ってこれを元の場所に戻して、僕は今度は新書のコーナーに足を運びました。
凄いのはここからで、よくある新書がギッチリ詰まった棚から「難解な本を読む技術」という本が目に入って、これもパラパラと立ち読みしました。なかなか面白いからその場でスマホから図書館に予約して棚に戻したら(便利な時代ですね)、背表紙に「高田明典」って書いてあるんですよ。お前さっきエヴァの本でわけわからんことやってたオタクやんけええええ!!!!って僕は大声を出してしまいました。
そういうひと夏の感動的な出会いがあって、構造主義入門をわざわざこの人の本で読んだのはこの経緯からです。

補足130:本の内容を引用できるという事実から明らかなのですが、僕は結局その場で「エヴァの遺せしもの」を購入してしまい、今も手元にあります。

・物語消費論:☆☆☆☆


動物化する~」を読む前に、これも読んだ方がいいです。東浩紀の議論の出発点になっているのが大塚英志物語論なので。
大塚英志という人はオタク第一世代、オタク文化がまさに勃興するその渦中にいた人です。この世代の人は文字通りの意味でオタクイコール人生であるため、オタクは研究対象ではなく、彼ら自身こそがオタクです。カンガルーの研究者がカンガルーを研究しているのが東浩紀だとすれば、大塚英志岡田斗司夫はカンガルー自身が自分の生態を喋っているという感じですね。前にも一度同じようなことを話した気がするんですが、このレベルの古参になってくると、オタク特有と言われるところの世界の捉え方が今はもう当たり前すぎて、結局何が新しく主張されているのか掴むのが難しいかもしれません。
ちなみに大塚英志って同じことを違う本に何度も書く節があって、本を大量に出している割には実質的な主張内容はそこまで多くないのではないか?と少し疑っています。あと専門学校かなんかの講師に就任してから小説の書き方講座というか、いわゆるワナビとかが読んでそうな本をよく出すようになって、ワークショップの中で自分の主張を展開するような書き方もよくしますね。

萌える男:☆☆☆

 

軽薄そうなタイトルからは予想できない良書だった。噛み砕いて言えばモテない男を萌えが救済するというだけの内容かもしれないが、神としての恋愛に始まり、大きな物語の崩壊以降、レゾンデートル無き世界をどう生きるかにまで踏み込んでいる。「電車男」を軸に据えたルサンチマン語りや恋愛資本主義批判よりも「家族計画」「おとボク」等を用いて語られる理想的人間関係論の方が示唆的に感じた。しかし、筆者が一般層への啓蒙を望む割には、オタク作品への造詣やオタク的感覚が無ければそもそも主張を理解できないのは少し問題かもしれない。
(LW読書メーター感想より)

 

・終わりなき日常を生きろ:☆☆☆


オウム真理教サブカルチャー的な立ち位置を理解するのに役立つ一冊です。デンジャーな反社会集団に過ぎないオウムがどういう文脈でサブカル的嗜好を持つある種のオタクと結合するのかが気になっている人は読んだ方がいいです。
彼の主張にはあまり同意しないんですが(援交女子高生になるくらいなら俺はサリンを散布する方を選ぶよ)、次に挙げる「私とハルマゲドン」の前に読むといいかもしれません。

・私とハルマゲドン:☆☆☆☆☆


前にも一度紹介しました。
こちらはもっと強くオウムとオタクを結び付けて語っている本で、庵野や僕のオタク観はこれに概ね合致します。

・テヅカイズデッド:☆☆☆☆


表面的には漫画の表現論の本なんですが、オタクの語りの相対化やキャラクター論など扱う話題は多岐に渡っており、見た目よりもボリュームのある本です。しかも非常に読みづらく、通読にはかなりの体力を要求します。僕は同じ箇所を最大で5回は読みました(単純に理解できなかったので)。
理由としては、
・ある界隈へのアンチとして書かれているが、その内容があまり具体的に示されない
・著者は研究者というより現場の立場から喋っており、議論の前提になっている過去の漫画界の趨勢が掴みにくい
・著者は誠実であるが故に安易な断定を避ける傾向があり、代わりに傷の周りをなぞるような表現を好む
・よく語りについての語りというメタ語りをするので(酷いときにはメタメタ語りだったりする)、今どの階層で喋っているのか特定しなければ引用文を読むことすらままならない

まあでも、労力を支払う価値は十分にある、萌えやリアリティを理解するのにも避けて通れない傑作だと思います。そういえばこれの次に夏目房之介の「手塚治虫の冒険」を読もうと思っていたのですが、まだ読んでないですね。

・可能世界・人工知能・物語理論:☆☆☆☆☆


片手で持てないほどデカく(全600ページ)、内容的にも今回紹介している中で間違いなく最大サイズの本です。オタクの本ではなく、哲学から論理学から文学までまたがる広範囲に学術的な本なので読むのは大変ですが、本当はこれを最初に読んでほしいというくらいの重要書籍です。
ライプニッツが拓いた様相論理の解釈を応用して物語と可能世界がどのように繋がるのか、オースティンの言語行為論からスタートして虚構とはテクストとしてどういう位置を占めるのかなど、フィクションに接する上でイメージの要になる議論が詰め込まれています(でも後半の人工知能パートは別に読まなくていいと思います)。特にキャラクター論やポストモダン論でよく出てくる世界の複数性について、物語からの要請がどのように関わってくるのかを知るのは強力な理解の基盤になるはずです。
事前知識として記号論理学について多少知っておいた方がいいかもしれません。とはいえ本を一冊勉強するほどやらなくても「記号論理における演算子とは何か?」「∃x, p(x)と∀x, p(x)の違いは?」くらいの常識が説明できれば大丈夫ですから、今ググって見付けたこのページ→を読めば十分でしょう。
そういえばこの前哲学の講義で、老教授がモダリティの議論をするときに完全にオタク的な文脈で「可能世界……君たちの読むラノベとかにもよくあるでしょ」と一言だけ言及していてビックリしました。確かにオタク界ではよくある論法ですが、別にオタクっぽくない教授の知識の範疇なんですかね。

エロマンガ・スタディーズ:☆☆☆☆


タイトルにはエロ漫画とありますが、エロゲーや萌え全般まで通用する強力な一冊です。
第一部でエロ漫画を通史で俯瞰したあとに第二部で各フェチズムについて詳しく見ていくという構造であり、最も重要なポイントを挙げるとすれば、「劇画からロリコンへ」という転換でしょう。
性的な興奮を求めるエロ漫画において、ひたすら図像的なリアリティを志向して陰毛や表情を描き込む劇画が、単純化された図像でありどう考えてもリアリティが劣るはずのロリコン漫画へ取って代わられるという現在まで続く異常事態は、明らかに二次元美少女全てにとって最大のターニングポイントの一つであるはずです。(今では日記漫画おじさんになった感のある)吾妻ひでおがなぜ手塚治虫に比肩する最重要人物なのかを知ってください。

・倫理とは何か:☆☆☆☆☆


倫理学の本で、ダヴィンチ恐山がオススメの本として挙げていて、読んだら非常に面白かったです。
道徳の相対化を徹底的に行うという内容で、オタクの本というよりはオタクの語りの本ですね。具体的には最近の京アニが作るアニメがあまり好きではない人間、響けユーフォニアムを見て生理的な気持ち悪さを感じる人間は読むべきです。他にもコードギアスのロロについて喋るときの僕はこの本の意味での道徳を念頭に置いています。

一応ギリシャから始まる哲学者の思想を追う解説者という体裁ではあるんですが、この本の魅力は著者の永井均という人間が圧倒的に面白いことによっています。倫理学の講義が猫の挑戦でなければならないことは彼自身の利己的独我的な思想と不可分であり、彼のTwitterでの発言からもその節は垣間見えます。
最近ウィトゲンシュタインの本を何冊か読んでいるのですが、永井均ウィトゲンシュタイン入門」では彼がどんな動機でウィトゲンシュタインを扱っているのか、彼の中でウィトゲンシュタインニーチェの二人だけが特別な地位を与えられる理由について語られており、この本に共鳴した人にはオススメできます。

悪徳の栄え:☆☆☆☆


「倫理とは何か」を読んで面白いと感じた人は絶対に読むべきです(逆でもOK)。
正直なところ、僕がTwitterで「将来作るアニメ」とか言ってるときにやりたいことって(ここまで露悪的にはやらないにせよ)だいたいこういうことだったので、マルキドサドに250年くらい先を越されてしまいました。しかもこれ絶世の美少女視点の女性主人公ものですから、もう完全に僕のパクリです。

・批評について:☆☆


Yubit映研の台頭に伴って、芸術批評論を流用してオタクの語り自体をちゃんと語ろうと思っていた時期に読んだんですけど、うーん、オススメというほどではないかも。
確かに論点はよく整理されているのですが、著者の芸術観があまりにも素朴すぎる印象があり、他の書評でも同じような評価であることが多いです。著者自身が言及している通り王道な批評観を講義する本ではないので、これを足掛かりにして他のいい感じの批評の哲学の本を探すべきですね。たぶん英米文学の印象批評→新批評→新批評への反発→……みたいな流れを勉強するのが一番参考になるとぼんやり思っているのですが、何を読めばいいのかまだわかっていない段階です。