LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

18/3/2 視点拡張型スピンオフについて

・お題箱34

51.なろう小説とかは読まないんですか?ラノベよりも文章がやばいのが多過ぎて玉石混淆なんていうレベルを越えた酷さですが、極々、極々、極々一部にはまともに読めるのもあります。幻想再帰イリュージョニストとかはLWさんが読むといい暇潰しになりそうだなと、ふと思いました。オタクでもの考えるのが好きな人が好む作品なので

なろうに限らずネット小説を読んだことはほとんどないですね……暇潰しは図書館から借りる本とかで十分足りているのでわざわざ玉石混淆ワールドを探索する理由も無いという感じです。
まあでも、せっかく勧めて頂いたので(僕は嘘を吐くのが嫌いなので正直に言うと読む確率は10%くらいだと思いますが)頭の中に留めておこうと思います。

52.上の前歯についてる茶色いの何ですか?

小学生の頃に水筒を腰に下げたままチャンバラしてたら宙を舞った水筒が前歯に当たって折れて、応急処置でパテで歯の形だけ作ったんですけど、それ以降ずっと何もせずに放っといたら変色しました(歯の神経が死ぬと変色するらしいです)。
今はちゃんとしたセラミックの歯を入れる治療をして無事白い歯に戻っています。

・視点拡張型スピンオフ

視点を拡張する変則的なスピンオフ作品について書く。あとLivedoorブログにイラストを作成するツールがあることを今知ったので今日から活用していく。
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上の図で黄色が世界、緑が事態、青が視点を表す。それぞれ言葉通りだが一応説明しておくと、

世界:作品の舞台になる場所(例:スターウォーズ世界、銀魂世界……)
事態:展開するイベント(例:ダースベイダーがオビワンを倒すイベント、ルークがヨーダに剣を習うイベント……)
視点:中心になっている登場人物(例:ヨーダ視点、ルーク視点、C3PO視点……)

上の図だと世界が二つあって、更にその中に事態が3つずつあり、その事態に巻き込まれている人が何人かずついる(緑の外にいる青点は何の事態にも参加していないモブ、蟻編でのヒソカ)。

補足110:上の図は世界地図のような同一時刻の地理的な俯瞰ではないことに注意。時空間的な広がりを表したものなので、それぞれの緑円の中に同地点で別時刻に起きたイベントを含むことも可能。例えば、上の図において「A君が8時に学校に登校する」「A君が12時に授業を受ける」「A君が20時に学校から帰宅する」の3つが別々の事態として、3つの緑円に対応することも有り得る。よって異なる青点が同一人物を表していても別に構わないのだが、それはあまり重要では無いし混乱を招きそうなので忘れてもいい。

補足111:視点が誰のものかきちんと定義するのは難しい。例えば映画では文字通り誰かの主観視点であることなどまずなく、誰か一人に近い位置にある神的な俯瞰視点であることが最も多いだろう。厳密にやろうとすると、小説が何人称形式で書かれているかなどというメディア依存の部分も扱わなければいけないので、今回はもっと緩い定義でいい。常識的に考えればスターウォーズエピソード4はルーク視点だよねくらいの認識でOK。

今回はこのモデルを用いてスピンオフ作品(既存の作品(本編)から派生した作品全般、wikipediaより)を扱う。まずは色々例を挙げてみよう。

A.世界を移動するパターン:黄色レベル
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げんしけんくじびきアンバランスソウルテイカーナースウィッチ小麦ちゃん(Rじゃなくてマジカルて・Zの方)が該当する。作品内作品やパラレルワールドでのスピンオフは話の舞台を継承せず、黄色い世界の間を根こそぎ移動する。

補足112:基本的には世界が変化するのと同時に起こる事態も変化するし、キャラクターも変化する(小麦ちゃんの場合、見た目は同じでも中身を継承していない)。下位レイヤーは上位レイヤーに引き摺られると言ってもいい(引き摺られないこともある)。

B.事態を移動するパターン:緑色レベル
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ジョジョ岸辺露伴は動かないうまるちゃん→えびなちゃんが該当。共有している世界の上で本編では描かれなかったイベントが起こるという最もありがちなパターン。

C.視点を移動するパターン:青色レベル
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単一の事態の中で、それに参加している人の視点だけが変わる。金田一少年の事件簿→犯人たちの事件簿が該当し、今回注目しているのはこれ。

以上、3つのパターンを挙げてみた。図を見れば明らかなように、A→B→Cの順に一段ずつレイヤーを下っており、これらは階層による分類とも言える。スピンオフのみならず、続編や二次創作まで含めた派生作品のほとんどをこれらのどこかに分類できるはずだ。
とはいってもたぶん派生作品の9割以上はB、むしろAやCになるのはスピンオフの中で更に一部だけだろう。一応、続編であるにも関わらずAパターンであるような例外を挙げておくと、ムカデ人間1→ムカデ人間2が該当する。ムカデ人間2は「ムカデ人間(映画)を鑑賞したデブがそれと同じことをする」というあらすじで、2においては1は映像作品内の話なので別世界扱いになる。

Cパターンっていわゆる群像劇と何が違うの?とガスキーに聞かれたが、俺の考えでは領域の不確定性によって群像劇と視点移動スピンオフは差別化できる(正確に言えば、領域の不確定性を活かすようなタイプの視点移動スピンオフに注目している)。

これについては、まずBパターンで考えてみるのがわかりやすいと思う。
二次創作や続編を許容する世界において、中に含まれる事態の数や種類は不定であり、それに伴って境界は開くと世界の様相は確定しない。例えば、銀魂は現在も連載中なのでこれから土方や近藤あたりが死ぬイベントが起こるかもしれないし、そこまで大事ではなくても最終話まで何らかのイベントは常に発生し続けるだろう。二次創作まで含めれば、同人作家が勝手に追加するイベントによって銀魂世界内での事態は増え続ける。簡単に言うと「事態は後からいくらでも付け加えられる」というだけの話で、黄色い世界の中の緑のマダラ模様はずっと変化し続けるので、そういう意味で事態を含む世界の状態も確定していない。
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Cパターンでも一つ下のレイヤーで同じ現象は発生する。つまり、事態に含まれる視点の数や種類が不定であり、それに伴って事態が確定しないということだ。
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「視点が原因となって事態が確定しない」現象を扱った作品といえば芥川龍之介の「藪の中」が思い浮かぶが、更にシステムによる不確定性を伴って継承した事例として高速バス脱糞というコピペ集→が極めて優れている。

補足113:三重くらいの意味で内容が悪すぎるので本当はこのコピペを取り上げたくはないのだが、これに勝るものが見つからないので泣く泣く載せた。吉野家コピペを別題材・別世界にするようなAパターンのコピペ改変はいくらでも見つかるが、事態を変化させずに視点のみを移動させるCパターンのコピペ改変はあまり無い。なお、上のwikiでCパターンと言えるのは「改変例」までで、「改変例(派生)」の方は世界を移動するAパターンなので除外する。

これは高速バス内で一般男性が脱糞をするという事態に対して無数の視点からの解釈が行われるというもので、中心にあるのは単一の事態であるにも関わらず、視点の追加に伴って事態が微妙に変化・拡張し続けている(藪の中と同様、真相が存在するかどうかは怪しい)。ポイントはこれが著作権のないネットミーム発であるために本当に誰でも視点を追加できるということで、そのおかげで先程述べたBパターンにおける「事態の追加による世界拡張」と対応した「視点の追加による事態拡張」が綺麗に現れてくるわけだ。

一方、ハンターハンターのような群像劇においては視点の数と種類は作中で固定されており、複数の視点が事態の不確定化及び拡張をもたらさない点で区別できる。これをBパターンでも考えると、発生する事態が既に確定しており世界が変容を見ないケースと対応する(あまりにも浸透した古典であるために、もはやいかなる改変も現実的ではない場合など)。

視点が変化することでジャンルが変化する現象もよく起こり、これは作品のジャンルというステータスはどの階層が定義するのかというメタステータスに関する話題に繋がってくる。
この点で俺が感心したのは「貞操逆転世界」(内容はタイトル通りなので説明略)で、元々は男性主人公だったのがスピンオフでは女性主人公に変更された。それに伴い、本編は「(元の貞操観念を保っている)男性主人公は逆転世界で性に貪欲な女性とたくさんセックスできてハッピー」というエロ漫画だったが、スピンオフでは「(元の貞操観念を保っている)女性主人公が逆転世界での奇妙な男女関係に困惑し続ける」というコメディ漫画になっている。なお、男性主人公から女性主人公へという変化が視点の移動と言えるのか(事態そのものが変わっているのではないか?)は中心にある事態をどう取るかに依存するが、俺は中心事態は「男女の貞操が逆転すること」と大きく取ってしまって妥当だと思う。
DBO9XSZUQAE4y9z[1]
他にも金田一は明らかに推理漫画からギャグ漫画に変わっているし、カイジ大槻スピンオフでもギャンブル漫画からコメディ漫画に変わった(大槻スピンオフについては視点だけではなく事態の変化の寄与も大きいと考えた方がいいが)。
仮に視点が変更されたことが原因でジャンルが変更されるとした場合、それはただちにジャンルが視点依存性を持つことを意味し、「ジャンルは事態or世界に依存する」という最も素直な見解(例えば「ギャグっぽい事態が起きるからギャグ漫画」、「生霊が歩き回る世界だからホラー漫画」というのは自然な考え方だろう)を破壊する可能性がある。

補足114:このあたりのジャンルの定義に関する議論はかなりガバガバというか、このモデル外のことを持ち出して容易に反論できる(例えば「絵のタッチ・コマワリ・描くコマの選択のような表現技法もジャンルの定義に大きく貢献するしそっちの効果の方が大きいんじゃないのか?」など)。俺もそっちの方が真相に近いと思う。