LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

7/16 マトリックス見た

・お題箱21

32.倫理とか規範って(自分以外)全員守っている状態が一番得だからそうなっているものだと思うけど、じゃあ倫理とか規範は相対的なものですよって公に語ること(=他人の倫理規範を解体すること)は、少なくとも世の中のためにはならない、という認識に同意しますか?
(もっと反応が欲しいらしいので取り留めのないことでもとりあえず投げる)

そうですね。
質問が自己完結しているのでYESと答えるだけで済んでしまうんですけど、強いて言えば、倫理規範の相対性って現状でそれを認識しているような人にとっては当たり前な一方、そうでない人が外部から付与されるのって無理だろうと思います。
別に「そうでない人」を馬鹿にしているわけじゃなくて、これは世界において何を神と見做すかっていうレベルの話なので、「公に語ること」と「実際に解体されること」の間のギャップはかなり深いんじゃないかっていう。少なくとも今成人している人たちを事後的に啓発することは出来ないと思うんですけど、教育の段階で相対性を与えたりすれば、十中八九モラルハザードが蔓延して安定した社会を築くことは難しくなるでしょうね。

そういう教育は間違いなく世の中のためになりませんし、答えはYESです。

反応が欲しいっていうか、人に140字以上語ってほしかったという方が近いです。
もちろんサイゼリヤにレスポンスする形でも全然構わないんですけど、別にそうでなくてもいいです。僕が口を滑らせて「更新頻度が落ちたのは反応が薄いからかもしれない」的なことを言ってしまったのは、自発的に語る流れがあんま出来なくてちょっとナエタみたいな感じかもしれません(なんか特定の誰かに言ってるエアリプみたいな雰囲気が出てしまっているんですけど、全くそんなことはなくて、ふんわりとそんなことを思っているだけです)。

でも何かを発信するのって単純に時間を食うし、僕がこうして更新していられるのは文章を打つことが苦にならないというただのパーソナリティによるところが大きいし、発信に価値を見出さない人も多いでしょうから、そもそも僕の期待(というほど強いものでもないですが……)がお門違いっていうか、それならそういうコミュニティに行けよっていう話ではあるんですよね。

まあ、サイゼリヤはこれからも適当に更新していく予定です。文章を書くのは目的が無くてもできるので。

マトリックス

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3部作を見た(含ネタバレ)
==== 1作目は本当に良くて、リローデッドはそこそこ、レボリューションは明確に悪かったけど、全体的に思ったより遥かに面白かった。あの一番有名な身体を逸らして銃弾を避けるシーン、実際にはそんなに綺麗に避けられてない上にそのままベチャって地面に崩れ落ちるので笑ってしまった。

補足52:ただ単に「リアルワールド」と言ったとき、「マトリックス作中の、機械が支配する本当の世界」と「サイゼリヤブログがある、まさにこの世界」のどちらを指しているのかわかりにくいので、前者を呼ぶことに統一する。
一般にカタカナで「リアルワールド」「マトリックスワールド」と言ったときはマトリックス作中の世界、漢字で「現実世界」「空想世界」などと言うときは我々が存在する世界を指すことにしよう。


マトリックスを見て現実世界をマトリックスワールドとリアルワールドのどちらに対応させるかは人によってまちまちだと思う。
「我々の現実の背後には機械が存在するのでは……」みたいな後退的な疑念を持つ人にとっては現実世界=マトリックスワールドだし、「我々の現実の先に知覚を支配する空想世界が存在するのでは……」みたいな前進的な虚構イメージを持つ人にとっては現実世界=リアルワールドである。
それはそのまま哲学的な世界認識が問われているとみるか素直なSFとしてみるかという違いに繋がるのだが(というかワールド対応よりこっちの方が早いか)、少なくともマトリックス公開時(1999年)に比べれば現実世界=リアルワールド派の方が多い気がする。人工知能VRなど、実際にマトリックス的な技術がどんどん進歩しているので。

補足53:とはいっても、この2つの対応はそれほど大きな違いではなくて、どっちにもこじつけられる世界変容も結構ある。
例えば現実世界に異分子が降ってくるタイプの話だと(ラノベで言うと灼眼のシャナみたいなやつ……最近少なくない?)、”紅世の徒”的な異常性に対して、「現実世界の背後により強力で支配的な、異なる法則を持つ世界が存在する」という受け取り方をすれば現実世界=マトリックスワールド的だし、「現実世界の先にファンタジックな異世界が存在する」という受け取り方をすれば現実世界=リアルワールド的になる。
結局、異常性が現実を擁立する基盤としてのものなのか、現実を拡張するオプションとしてのものなのかが問題になるが、俺的には現実世界の「フィクション全般」が最も興味のある異常性なので、その意味で現実世界はリアルワールドである(フィクション全般は明らかに現実の基盤ではない)。


俺もどちらかといえばリアルワールド派で、現実世界においてマトリックスワールド的な役割を果たすフィクションが、しかし現実世界では一切の力を持たないというギャップがどう処理されるのかというところに興味があった。

人間vs機械の戦いはリアルワールドでは勝負にならず、人間はEMP攻撃で辛うじて機械の極々一部を退けるくらいしかできない(レボリューションのザイオン攻防はマトリックスワールドで展開する派手な戦闘ではなくリアルワールドで展開する泥臭い戦闘なので評判が悪いようだが、「華やかなるマトリックスワールド、しかし寄る辺なき現実」という構図を補強していて俺は嫌いではない)。ネオの能力についても同じで、行使できるのはマトリックスワールド内に限られる。
しかし、リローデッドのラストでネオがリアルワールドで能力を行使して椅子から転げ落ちてしまった。

それはやっちゃいけなくない?
そんなことをされると現実vs虚構という最も基本的な対立が崩壊してしまう。SFのFはファンタジーじゃないんだぞ、リアルワールドをハリーポッターの世界にするな~~~という俺の叫びも虚しく、レボリューションでは更に能力を進化させたネオがリアルワールドの機械都市に乗り込み交渉を成功させて戦争を治めるという最悪としか言いようのないエンドで終わった(交渉においてスミスを倒すことが交換条件になったのも当初の戦争と関係のない話題のすり替え)。

機械都市で機械の意思の総体(デウスエクスマキナ)が喋り始めるところでマジで萎えた(ネオがチート使うのは万歩譲って許容する/しないとしても、今まで無慈悲な殺戮マシーンだった機械側まで人の心に目覚めるな)けど、そういえばエグザイルの設定はかなり好きだった。
エグザイルというのはプログラムがシステムから離脱したことにより独立した人格として機能した存在で、それぞれ元々のプログラムの目的に由来した「自らの存在を他者に上書きできる」「身体を幽体化できる」「あらゆるロックを解除できる」などの能力を持つ。能力の行使がマトリックスワールドに限られているところはリローデッドまでのネオと同じで、かなりゲーム的な設定である。

補足54:「ゲーム的」と言ったとき、まず第一にはコンテンツと消費者の間の相互作用だが、第二には「クエスト」・「キーアイテム」・「スキル」的な事象の単純化がある気がする。
ゲームでは進行上の要請により、事象・状態・才能などなど、色々なものが一定の単位に括られる。
ニュアンスとしては、履歴書に書いてある「英検二級」みたいなステータスはゲーム的だ(俺はゲーム脳なので、「英検二級」を見るとゲーム的だと感じる)。現実で英語を読むスキルは気分や運にもよるわりとアナログなものだが、ゲームでは「英語スキル Lv.4」みたいな形で可視化されればそれとして完全に機能する。


エグザイルとデウスエクスマキナを比べたとき、どちらも機械が意思を持った存在なのだが、前者は好きで、後者は萎えるというダブスタがある。これがよくわからなかったのだが、やはりデウスエクスマキナが主にリアルワールドに属する存在というところが気に食わなかったのかもしれない。