LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

19/12/2 『この素晴らしい世界に祝福を』の感想 マチズモから退却するカズマと、男友達化するヒロインズ

・『この素晴らしい世界に祝福を』の感想

f:id:saize_lw:20191202172956p:plain

一期を全部見ました。面白かったです。
アクアが腋が出ていて可愛いですね。コミカルなキャラクターの割には徹底した差別主義者で、種族だけで善悪を判断するのが正しく宗教的な女神らしくて良いと思います。『異世界かるてっと』ではそこばかりフィーチャーされてもはや完全なレイシストになっていましたが、二期ではアクシズ教が前面に押し出されるらしいので楽しみにしています。

さて、このすば一期では全体としてマチズモからの退却が描かれていたということをこれから書いていくんですが、それが最初にはっきり提示されたのは第5話です。
補足224:マチズモとは男性優位主義のことで、ざっくり言うと「男らしい男が強い世界観」、筋肉ムキムキで腕力のある男が金も女も持ってて偉い世界みたいな感じです。こうした世界観では女性がマッチョ男性のアクセサリーになってしまうという男尊女卑の問題や、マッチョでない他の生き方を抑圧するという多様性の問題があり、否定的なニュアンスで使うことも多いです。

f:id:saize_lw:20191202172945j:plain

第5話はある程度生活基盤が整ってきて、馬小屋暮らしではあるもののとりあえず衣食住には困らなくなったくらいの段階です。それを受け、アバンでカズマが

「小銭稼いで満足したり、駄女神の面倒見たり……違っただろ! 俺が望んでた異世界暮らしは……魔剣や聖剣を持って凶悪なドラゴンと戦ったり、選ばれし勇者とか称賛されたり、パーティーメンバーと恋が芽生えたり、そういうもののはずだろ……?」

と独白するシーンからスタートします。カズマには金暴力セックスを兼ねそろえた典型的な主人公に対する憧れがあって、それが実現されていないことに対する不満を持っています。
その後、クエストをこなしたり色々あったあと、キョウヤという転生者が出現します。

f:id:saize_lw:20191202172942j:plain

このキョウヤというのがまさに典型的な主人公で、魔剣を持ってドラゴンを倒して女の子をはべらせるハーレムを築いています。これって明らかにカズマのロールモデルでもあって、冒頭の独白が正しければカズマは羨望の眼差しを向けるはずなんですが、実際にはカズマの反応は極めて冷たいです。一貫してキョウヤの独善的な姿勢を否定し続け、まともに相手をしません。カズマだけではなく他のヒロインも「痛い人」「殴りたい」などと散々な評価を下し、最終的にはアクアが殴ってブッ飛ばすことになります。
また、それと同時に描かれるのがキョウヤとカズマの女性パーティーメンバーに対する姿勢の違いです。女性を大切にするフェミニスト(誤用)であるキョウヤに比べ、カズマは女性に容赦がなく、「真の男女平等主義者な俺は女の子相手でもドロップキックを食らわせられる」などと言いながらキョウヤの女性パーティーメンバーを脅します。ここでもカズマは女性を守る男性というステロタイプ性役割を固持したキョウヤのキャラクターとは相容れず、それに真っ向から対立しているわけです。

この、表面的にはマッチョな男性像に憧れているんだけど、実際にそういうものが出現すると拒絶するという、言行不一致に支えられたマチズモからの退却が『このすば』一期で頻出するモチーフになっています。
補足225:この手の表面的な言行不一致は『このすば』以外にも異世界転生全般でわりとよく見られるもののように思います。ファンタジー世界に転生して設定を超速理解した主人公が「俺もかっこよく活躍してモテまくるぞ」みたいなことを言うのに、実際には思ったようには活躍できないっていう作品は結構ありますよね(巷で思われているほど異世界転生=無双ではない)。かといって「努力して活躍を目指す」というカビ臭い教養小説のような展開を採用するわけでもなく、挫折を最初から予定調和として織り込んでいるという屈折した展開の共有には非常に引っかかるところがあります。

そしてキョウヤを拒絶することで否定されたマチズモ的コミュニティの代替案として提示されているのが、上下関係のない男友達的なコミュニティです。第9話では性欲とヒロインとの関係を軸にしてそれが描かれました。

f:id:saize_lw:20191202173659j:plain

第9話ではカズマはサキュバスが運営する風俗を利用することになるんですが、まずその時点で「ヒロインは性欲を満たしてくれていない」という現状認識が前提になっています。
この段階ではカズマたちはデカいお屋敷を入手しており、客観的に見れば可愛い女の子三人と寝食を共にする完全なハーレムなんですが、カズマにとっては風俗を利用しなければならないほど性欲が溜まっているらしいんですね。かといってヒロインに性欲の解消は期待できないから、性産業にアウトソーシングしていくという構図があります(なお、サキュバスが実行する性サービスは「夜寝ている間に淫夢を見せる」というものなので、風俗嬢とのセックスというよりはゴージャスな自慰行為と言う方が近いです)。
ヒロインが性欲に絡まないどころか、むしろその障害になっているということは酒盛りのシーンで象徴的に描かれます。カズマがサキュバスに性的サービスを依頼したあと、ダクネスが実家からもらった蟹を皆で食うんですが、この際にヒロインと楽しく飲み食いするとぐっすり眠ってしまうので淫夢を見られない、淫夢を見るためにはヒロインとの交流を打ち切って眠らなければならないというジレンマが生じます。ヒロインと自慰行為は二者択一であるという図式が提示されたのち、最終的にはカズマは自慰を優先します。
しかしその後、「サキュバスが提供する淫夢だと思ったのが実際には淫夢じゃなくてリアルだった」というありがちな(?)勘違いの下、カズマはダクネスに対して性欲の発散を試みることになります。

f:id:saize_lw:20191202173754j:plain

酒盛りのシーンで明示されたように本来はダクネスは性欲の対象ではないんだけど、いざとなったら別にダクネスでもいいという妥協があるわけですね。これもさっきと同じ言行不一致の構図で、実際にはヒロインであるダクネスに対して性欲を向けることもできるんだけど、それにも関わらず行動としては性産業へのアウトソーシングを選択していたという表面的には矛盾した態度が現れています。

このシーンには、カズマが明らかにダクネスを性的にのみ消費しようとする下劣さが垣間見える一方で、もっと広い視野で見ればむしろカズマの女性に対する謙虚で禁欲的な基本姿勢を見出すことも可能です。つまり、Bパートでカズマがその気になればダクネスに欲情できると示したことによって、Aパートで性産業を利用していたのは彼がダクネスに性欲を向けないように本能に抗っていたからという文脈が付加されます。これによって、ヒロインを性欲の発散対象とすることは潜在的には可能なんだけど、だからといって彼女にそれを求めるのは男性本位で短絡的な発想だから、実際にはサキュバスへのアウトソーシングによって性欲の解消を試みていたという行動指針が見えてきます。これはカズマが「ムラっときたからセックスしようぜ」みたいなマッチョな性欲を持っていたらまず起こらないことであり、やはり第5話と同様にマチズモからの退却が通底しています。また、性風俗の利用自体がダクネスに性欲を向けないように試みていた痕跡と見做すと、ヒロインたちとは男女の性をオミットした男友達的な関係を築こうとしていたことがわかります。
補足226:(マッチョではない)リアルな男性の性事情もまあそんな感じですよね。日常でムラっとする対象があったとしても、ムラっとしたからといってその対象に対して性欲をぶつけてもいいということにはならないので、実際には家で自慰をするなり風俗を利用するなりして解消するというのはよくある行動だと思います。

最後に、OVAは最も直接的にハーレムものへのアンチテーゼになっています(アマプラで無料です)。
OVAではカズマが「願いを叶えないと死ぬ(願いを叶えると解除される)」という呪いのアイテムをエンチャントされます。しかし、カズマは自分の願いが何なのかよくわからないので、仕方なく(という名目で)願いを叶えるためにヒロインたちにエッチなことをさせてみたり、色々ハーレムっぽいことを堪能します。しかし、どうやっても呪いを解くことはできず、死が迫ってきたところで「死なないで」みたいな感動的なことをワチャワチャやっているうちに呪いが解けて、「俺が欲しかったのは癒しだったのか」というオチが付いて終わります。
結局アイテムが何だったのかよくわからないあたり非常に寓話的な話ですが、OVA特有のお色気サービスシーンが否定されるべき踏み台として利用され、もはやハーレムを求めていないことが強く示されています。ここでもやはり「口先ではモテモテハーレムを願っているようなことを言いながら、実際にはそれを本当に求めているわけではなかった」という言行不一致に基づくマチズモ的ハーレムの否定があります。
カズマが死の間際に「もはやこれまで」と悟って性欲を語るシーンも秀逸で、普段隠していた性欲を披露するとヒロインたちは揃って強い拒絶の意を表します。少なくとも表面的には性欲が介在しない男友達のコミュニティとして駆動しているからです。

以上、『このすば』は主にヒロインとの関係において、マチズモコミュニティから退却し、代わりに男友達コミュニティを提示したという話でした。
補足227:とはいえ、アズールレーンお風呂回の感想の補足220と全く同じ注釈を書きますが、萌えアニメの宿命として、この程度のソリューションで「女性性を性的な消費から解放した」と強弁することには問題があります。ヒロインが男友達化したところで依然として(商業的な要請により)可愛い女の子である以上は、男友達化は都合良く女性性を搾取するための形式であると解釈することが可能だからです。