LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

19/7/31 何故かぐや様は告らせたいのか

・お題箱49

85.アプリとかでリアルタイムに読んでいる漫画はありますか?

あります。スマホに入れている漫画アプリはジャンププラスとマンガBANGの二つです。
ジャンププラスは更新される漫画の半分くらい読んでいて、いま一番更新を楽しみにしているのは『ヴァージニアス』と『爬虫類ちゃん』です。ジャンププラスのコメディって長期化するとすぐマンネリになる傾向があるので単行本尺5巻くらいで終わって次の連載に行った方がいいと思うんですけどどうなんでしょうね。
マンガBANGでは普段読まないタイプの漫画を読むことにしていて、ヤンキー漫画とか料理漫画とかスポーツ漫画を読みます。最近だと『ドンケツ』『上がってナンボ』『蒼太の包丁』とかを読みました。漫画ってどんなに興味ないテーマでも惰性で読めてしまうから凄いですよね。僕がそれを初めて実感したのは中学生の頃にブックオフ小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』を読んだときで、どう考えてもオッサンがクダ巻いてるだけの内容で文庫本だったら3行で放り出すしインタビューだったら5秒で番組を変えるのに、漫画だから何となく最後まで読めてしまい、漫画って本当に強力なメディアなんだな~と思ったことをよく覚えています。このブログも漫画だったらもっと読みやすいと思います。

86.赤坂アカ『ib-インスタントバレット-』をLWさんに読んで貰いたいです
セカイ系の物語なんですが、LWさんにかなり刺さる気がする

読みました。
先延ばしにすると永遠に読まなさそうなので、わざわざ置いてある漫画喫茶を調べて炎天下で足を運んで読んできました。褒めてください。

まあまあ面白かったです。
が、正直に言って、この漫画ってゼロ年代前半にものすごく流行して夥しい数が出版されたセカイ系寄りライトノベルのメモリアル再生産ですね。当時の電撃文庫にはこんな内容の本が無限に存在しており、僕が最初に思い出したのは『レジンキャストミルク』でした。2013年にもなってこんな古い話を描いたのが驚異的なくらいです。

しかし、赤坂アカがコテコテのセカイ系を経て『かぐや様は告らせたい』に行き着いたのは面白いと思います。というわけで、残りは『かぐ告』のルール変遷とセカイ系の関係みたいな話をします。
mO4TzrLm
これは『かぐ告』第一話の冒頭ですが、ポイントは「恋愛関係において『好きになった方が負け』は絶対のルール!!」というところです。このテーゼは直後に「即ち『告白した方が負け』!!」と換言されています。すなわち、この時点では『好きになった方が負け』が第一のルールであり、『告白した方が負け』はそれに付随する二次的なルールであったことがわかります。しかし、連載を通じてこの二つのルールのウェイトは徐々に逆転していきます。

つまり、「恋愛頭脳戦」のルールは厳密には

1.好きになった方が負け(好き負けルール)
2.告白した方が負け(告白負けルール)

の二つがあり、連載開始時点では1が採用されていたのが、徐々に2にすり替わっていったということです。

もともと連載開始時の二人は「そもそも相手のことを別に好きではない」というスタンスでした。何故なら、「1.好き負けルール」の場合は好きだと自覚した時点でアウトだからです。それがいつの間にか「相手のことは好きだけど自分から告白すると負け」という話になり、文化祭編あたりで「どうやって負けを受け入れて告白するか」みたいな話になっていきました。
つまり、初期の「1.好き負けルール」に従うと恋愛頭脳戦は既に終わっているのですが、作品を延命するためにそのルールは放棄され、当初は二次的なルールであったはずの「2.告白負けルール」の方を新しいルールとして暗黙にスライドしたという経緯があります。また、「2.告白負けルール」の場合は告白しない限りは何を思ってもセーフである一方、「1.好き負けルール」の場合は心中で自覚した時点でアウトなので、1の方が厳しいルールであることは明らかです。そういう意味で、1から2へというルールの移行過程はプレイヤー二人と作品の妥協の過程でもありました。

何故この二つの違いにこだわるのかというと、ルールの重みが全く違うからです。
そもそも何故そんなルールがあるのかを考えたとき、「2.告白負けルール」は理解しやすいです。「告白してもし断られたら耐えられない(から告白したら負け)」みたいなことを中盤以降でかぐやが早坂に何度も口にしていますが、そういう告白の勇気みたいな話はごくごくありふれています。青春恋愛ものなら割とどこにでもある陳腐なモチーフというか、この漫画独自の点は特にありません。
それに比べ、「1.好き負けルール」の方は圧倒的に歪んでいます。「好きになった方が下」という何故か恋愛感情を上下関係に還元しようとするよくわからない価値観は二人の狂人じみたプライドの高さ、人間性の破綻がベースにあって初めて成立するものです(少なくとも青春恋愛もので普遍的なモチーフではないでしょう)。そういう意味で、1から2へとルールが移行する過程はこの漫画が独自性を失っていく過程でもあったわけで、ありがちなラブコメに堕してしまったな……と残念に感じているところではあります。

それはさておき、今回インスタントバレットを読んで明らかになったのは、「1.好き負けルール」を採用するような初期の白銀とかぐやの人間的な歪みはセカイ系から引き継いだ残骸だったということです。
インスタントバレットはざっくり言うと「クロ」という少年と「セラ」という少女のボーイミーツガールもので、最終巻ではセラが悪の素質を持ちながら正義のヒーローに憧れていたことが明らかになり、クロが彼女のために世界を滅ぼす悪役になってやるという話になります。まあ、その話自体ははっきり言って陳腐というか、セカイ系というジャンルに照らして独自性があるとは全く思わないのですが、世界を賭けないと僕ら少年少女は出会えない=僕ら少年少女の出会いには世界を賭けなければならないという、非常にセカイ系らしい過剰な自意識が素直に出ています。僕らの恋愛という重大なイベントをどこにでもある交際活動に矮小化することにはすごく抵抗があって、世界を揺るがすような多大な意味付けを与えなければ耐えられないという思春期特有のしょうもない自我が、こういうプロットを作らせるわけですよね。
セカイ系において恋愛感情が矮小な領域に縮退することを恐怖するこの感じって、初期の白銀とかぐやが「1.好き負けルール」の下で持っていた恋愛感情を自覚することへの異常な抵抗感とほぼイコールと言っていいと思います。彼らが囚われているのって、特別な存在である我々が普通に恋愛感情を抱いて普通に付き合ってはいけないという一種の選民思想ですよね。そういうセカイ系のモチベーションにもなっていたはずの過剰な自意識だけが亡霊のように残存しているけれども、既にゼロ年代が終わって世界の危機という受け皿が消えてしまっているときに、それが(全世界よりは)卑近な学園という舞台で「1.好き負けルール」による恋愛頭脳戦という抵抗の形態を取ったものとして初期『かぐ告』を理解できます。

以上、初期『かぐ告』のセカイ系オルタナティブとしての解釈みたいな話でした。
もっとも、そういう文脈は「2.告白負けルール」への移行が起きた時点で消滅してしまったんですが、それはそれでセカイ系をきちんと葬送できたということかもしれません。いつまでもこだわっていてもしょうがないですからね……