LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

18/9/15 最近読んだ本2

昨日の続き。
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ディコンストラクション1・2

 


オススメ度:☆☆
初手度:☆

文芸批評の観点から脱構築ディコンストラクション)を扱った本。デリダはいつかやる予定だったが、文学理論の領域にも強い影響を及ぼしていることがわかったので、その切り口から入ることにした。
上巻には脱構築全般についての解説が載っており、内容の充実度合いの割にはわかりやすい方だと思う(まだ他に読んでないから知らんけど)。ただ、文章が平坦でいつ話題が切り替わったのかわかりにくく、小見出しを付けてほしかった。
下巻は実践例になるけど、あんま読んでない。作者がアメリカ人だから西洋圏の文学を批評した実例を持ち出してくるのだが(小説の批評の解説)、俺はその小説も批評も読んでいないから。取り上げられている文学を読む気合がない限りは、上巻だけ読めばいいと思う。

事前知識はそれなりに必要。デリダが他の思想家(例えばフロイトやオースティン)に対して行った精読の解説が延々と続くのだが、そもそも彼らが何を主張していたのかをある程度知っていなければデリダがどういうことを改めて指摘したのかがあまり理解できない。もちろん多少の説明はあるが、まあ厳しい。

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読


オススメ度:☆☆
初手度:☆☆

ボードリヤールベンヤミン、リオタールあたりはオタク御用達感あるからいつかちゃんと読もうと思っていて、手始めに読んだ。
にわかだから思想家が直接書いた本って敷居が高くて敬遠している(代わりに思想を解説した本を読むことが多い)けど、これは本文に加えて解説が付いているのでありがたい。ベンヤミンの原文(の翻訳)も、一度解説を読めばそれほど難解ではない。

イデアアウラって何が違うねんみたいなところが気になってたんだけど、わりと何もかも違うことがわかった。
前者が真理・形而上学・本質・創作論と接続するのに対して、後者は社会・政治・歴史・受容論の文脈を伴う。アウラの説明に使われる「真正性」とか「いま・ここ」みたいなワードってキャッチーではあるけど、それって伝統の流れの中にあって政治性と切り離せないメインカルチャーにのみ付随するから、サブカルチャーであるところのオタク文化を語る上での使用価値ってあまりないように感じる(わざわざアウラ論を援用して説明したいことはあんま思い浮かばない)。

この本自体が必要な事前知識を補完する本なんだけど、それでも更にその前の事前知識は少し必要。ベンヤミンマルクス主義の影響下にある思想家なので、その知識だけ持っておきたい(昨日からそればっかり言ってるな)。

ヴァルター・ベンヤミン


オススメ度:☆☆
初手度:☆☆

これはベンヤミンの複数の論文を扱った解説書で、「複製技術時代の芸術作品」の解説だけ読んだ(他の解説も読もうと思ってたんだけど、読み終わる前に返却期限が来てまあいいかと返してしまった)。
講義録を元にした非常にありがたいスタイルで書かれていて、元の論文を数行ずつ引用してきていちいち口語で解説が入るのでもはや誤読のしようがないくらいパーフェクトに読める。訳の問題とか微妙なニュアンスについても専門家が説明してくれる。このスタイルの本、全ての思想家の全ての本で出してほしい。
必要な事前知識はさっきの本と同じ。なんか全く知らないことをよく「皆さん知っていると思いますが」とか言ってきてビビるけど、教授的な人たちは何でもそう言うからそのたびに調べて知っていたフリをすればいいよ。

セカイ系とは何か


オススメ度:☆
初手度:☆☆☆

ここからはもう少しライトというか俗な本の感想。
これは東浩紀の眷族が書いたセカイ系の解説書で、まあサラッと読める。なんか微妙にまとめブログ的というか、人の論を持ち出す割には付け加えるでも反論するでもないのでお前の意見は何やねんという気持ちになるが、タイトル通りニュートラルな通史を目指しているのならそれでいいのだろう。

ゲーム的リアリズムの誕生



オススメ度:☆☆
初手度:☆

動ポモの続き。これを読むために俺はEver17をクリアしたんだ。
既に動ポモで説明した論理の実践編といったところで、前書に比べれば内容はかなり軽い。が、それは前書を理解しているのが前提ということでもあるので先にそっちを読む必要がある。
レディメイドな焼き直しの物語しか無い時代で批評や文学はどうあるべきかという提起は俺の身には迫るが、それで満足している人は非常に多いし、嘆いているのは一部のスノッブだけなんじゃないかという感じはある(そのあたりにもきちんと言及されているが)。現実的には商業主義とのバランスだろうから、その辺の問題意識を共有した上でビジネスライクに書いた本があれば読んでみたいな。

ゼロ年代の想像力


オススメ度:☆☆☆
初手度:☆

これ読んでる最中は非常に面白かったけど、感想を書こうとするとそんなに面白かったか?って感じになってきた。オタク文化に限らないサブカルチャー全般に対する豊富な知識を使って東浩紀が時代遅れであることを立証していく内容で、読んでいてかなり楽しい。文章がうまい。ちなみに内容自体がカウンターなので、動ポモは読んでいるのが前提。
一応、「コミュニティを扱う作品って昔から一定数あるはずだから定量的な測定を行わないと年代的な想像力を反映しているのかわからないんじゃないか」とか「仮面ライダーとジャンプ以外は恣意的に作品を取ってきている気がする」とか統計的なところが気にはなるけど、そこまで大きな問題ではない。

ただ、東浩紀のオタク論の射程が社会全体に比べて極めて限定的であることって動ポモの時点で既に強く自覚されていたような記憶があるんだけど、どうだっけ(貧民ゆえ、本が手元になくて確認できない)。元々、ローカルなオタク文化現代思想を語る射程を持っている可能性があるっていうのがスタートで、時代を包括する想像力を語ろうという話ではなかったような。「九十九十九ってやたら持ち上げられるけど他の場所で言及されること皆無じゃない?」「清涼院流水知名度って西尾維新の10000分の1くらいじゃない?」みたいなことは確かに俺も非常に気になってはいたけど、局所的な作品論と大域的な社会論で住み分ければいいだけじゃない?っていう。

あと、ある種のセカイ系(今風に言うと感傷マゾ)がレイプファンタジーであるという攻撃には同意する。多くの人を敵に回しそうだけど、基本的には下劣だよね、あれ。
ただ、十歩譲ってその下劣さの無自覚性を告発することは有効だったとしても、下劣さを自覚した快感に対しては俺は問題ないと考えるので、そこのスタンスが割れてくる。そもそも、「シンジはライトを倒せない(から誰なら倒せるのかを考えないといけない)」っていう問題意識からして、恐らく意図的に極めて素朴な社会反映論で、社会からの要請以外の発生源がないはずなんだよな。社会から断絶されたローカルなオタクコミュニティが全員シンジ君になってても別によくない?っていうことは最後までずっと気になっていたが、まあ、暴力ゲーム批判と大して変わらないしょうもない話なので、わざわざ掘り下げることでもないか。