LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

18/9/1 アマプラに生活を支配されるな

・レポート2:MRと偶然性

MRによる偶然性の喪失について(pdf)
VR技術の発展によって20年後の人類はどう変化するか論じよ」みたいな課題で書いたやつ。
事前知識について少し書いておくと、MRは"Mixed Reality"の略で、VR(Virtual Realiry)の派生の一つ。"Mixed"というのはRealとVirtualをミックスしているという意味であり、デカいゴーグルを被って完全にバーチャル世界に行ってしまうVRに比べ、リアルとバーチャルを混合させたもの、比較的リアル寄りのバーチャル技術を指す。ポケGOの捕獲画面とか電脳コイルみたいな、とりあえず実世界の上にリアルタイムに画像を重ねて表示するようなやつをイメージしてもらえばOK。他にも、グーグルグラスはメガネの上に地図情報とか天候を表示したり、見ているものをリアルタイムで分析して店舗情報を提示したりしてくれるらしい(今販売されてるやつにそういう機能が付いてるのかは知らないけど、技術さえ追いつけば実装されるだろう)。
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そういうものは便利だからこれから生活に浸透していくだろうけど、それって無自覚かつ広範に人生を消費対象として切り売りしていくことにもなるよね、MR技術で失われるものに対してもっと目を向けた方がいいよね……ということを俺はずっと思っていて、その一つである偶然性の喪失について批判的に書いた。

今回はそれだけの話だから読んでもらえればいいんだけど、どうも理系のVR技術への評価はナイーブすぎるんじゃないかということは俺は普段から思っている。
日常に計算機が介入することの危険性といったとき、たぶん理系の世界で挙がるのは「バグで暴走すると危ない」とか「悪意を持つ個人が悪用するとまずい」とか精々それくらいしかない。介入自体が持つ権力性とか、人生の一回性の軽視、個人性の散逸などはあまり取り沙汰されないのだ。もちろん、これらは人生の最適化を目指す工学による発展そのものが常に持つものであることは認める。そんなことを言ったら洗濯機や食洗機だって人間から能力や経験を奪うものだし、更に言えば科学技術以外からは特に影響を受けていないというのも、また同じくらいナイーブな発想になってしまう。
とはいえ、程度問題であることは閾値の不在を意味するわけではない。恐らく、MR技術はあまりにも強すぎる。レポート中にも書いたが、これが浸透したときに影響が及ぶ範囲が甚大であるという規模の点と、なまじ便利なだけにほとんど意識されないという無自覚性の二点において強すぎるので、そのへんもうちょっと自覚的になった方がいいんじゃない?と思う。

似たような話題で、ビッグデータを利用したサジェスト機能はどこにでも現れるようになっているが、これは世代の問題と結びつく。
サジェスト機能が初めて世の中に現れたときの世代を第一世代とすると、彼らが利用するビッグデータはサジェスト機能による影響を受けていない。最初のビッグデータを収集し始めた時点ではサジェスト機能が存在しないのだから、これは当たり前だ。しかしその次の世代、サジェスト機能を利用することが普通になった世代を第二世代とすると、彼らが利用するビッグデータは既にサジェスト機能によって行動を決定されたものを改めて収集したものになる。
つまり、

サジェスト機能によって行動が決定される

サジェスト機能によって決定された行動を収集する

サジェスト機能によって決定された行動を収集してサジェスト機能を強化する

というフィードバックループが成立する。これ以降の世代は基本的に全て同じで、自己強化で方向付けられた行動をとるようになる。第一世代とそれ以降の世代で決定的な違いがあり、大袈裟に言えば、最初にサジェスト機能が作られた時点での決定がそれ以降無限に再生産されることになるので、たまたま技術が普及した世代の時点で固定されてしまう何かがあることになる。まあ子育てや教育まで入れればそんなことは歴史の中でいくらでも起こっているのだが、こと技術に関してはなまじ便利なだけにガードを下げずにやっていきたい。