LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

22/9/10 お題箱回103:ジャンプラ、依頼料、浪人時代、減量トレ、数学の素養etc

お題箱103

469.ジャンププラスで好きなマンガはなんですか?
推しの子、ハイパーインフレーションはネットでよく名前を目にするだけあっておもろくてこれ無料で読めるとかスゲーとか思ってます

連載中の漫画だとダンダダン、ゴダイゴダイゴ、ハイパーインフレーションあたりが好きで、最近連載が始まったスケルトンダブルも楽しみにしています。

昔のものだと終極エンゲージがかなり面白くて、そこで「WJの二軍じゃなくてちゃんと面白い漫画を載せる媒体だ」とジャンププラスを見る目が変わった記憶があります(中盤で失速してしまいましたが)。

 

470.遊戯王やられていたときはどんなデッキが好きでしたか?

逆張りオタクなので変な勝ち方をするチェーンバーンやカウントダウンのようなアンフェア系特殊勝利デッキが一番好きでした。この辺のデッキにはかなり詳しい自信がありますが(→)、強くはなかったのであまり使っていません。

一番使っていたのは間違いなくHERO系統のデッキですが、愛着はあってもデッキタイプとして好きではなかったような気がしてきました。インゼクとかジャンドとか六武みたいなブン回し系のデッキにキレていた記憶しかないですし、今思うと何が楽しくて使っていたのかよくわかりません。

 

471.お下品な質問失礼します。
3次元をオカズに致すことはありますか?

頻度は低いですが2次元とは9:1くらいであります。

 

472.イチャイチャしたいなら全身が千代田桃になるべきでなくシャミ子になるべきだと思うんですけどそうしないのは、何を志向しようとまず前提条件として強者であることが必要だというLWさんのいつもの思想が影響してたりするんですかね?

それはあまり関係ないです。

僕が定期的に「全身が千代田桃になってきた」とツイートしていたのは別に合目的的な意識故ではなく単に千代田桃の気持ちが100%わかるからです。その一方、シャミ子の気持ちはよくわからないのでシャミ子にはなれません。千代田桃がWifiを切断する気持ちはわかりますが、シャミ子がぽがーとか言ってる意味はよくわかりません。

 

473.ラブコメって読む?

百合ラブコメなら読みますが、ヘテロブコメは基本読みません。ただし「アラサーの女性×若くて実直な男性」という極めて限定されたシチュエーションのラブコメに限ってけっこう好きであることが判明しています。

manga-park.com

comic-meteor.jp

ちゃんと女性側に感情移入して「こんな若い男の子が真剣に迫ってきたら嬉しくなっちゃうわねえ~」という感じで読んでいるので普通にゲイ要素という説もあります。

 

474.LWさんのコンテンツをインプットするモチベーションって何なんでしょうか?「スキルツリーを伸ばす」みたいなことを以前言っていたような気がしますが、「スキルツリーを伸ばす」ことに意味があるのか?みたいな悩みとかは持たないんでしょうか。

聞かれてみると謎かもですね。そこで悩んだことも無くて、スキルツリーを伸ばさないよりは伸ばした方がいいという確信が揺るぐことはないです。

「スキルツリーを伸ばす」というのは言い換えると「後に何かが残ることをやる」ということでもあって、具体的な行動指針としては「やっている最中の評価よりもやったあとの評価を基準にして行動を決定する」ということでもあります。やっている最中しか発生しない楽しさとかはその時間が終われば消滅してしまいますが、やったあとに残るものはその後の人生でずっと残るので、普通にそっちの方が人生の行為として良くないですか? やりたいことよりやるべきことをやった方が良いというのはそんなに突飛な考え方ではないと思います。

 

475.お題箱回100回目おめでとうございます。
そして100回目とは何ら関係ない質問として、お題箱99のイラスト依頼にかける金銭について「払い過ぎも良くなくて〜」という助言をされたそうですが、理由等は聞きましたか?
私も依頼料は多い方がクオリティも上がるだろうと考えていたので、そうでは無い理由について是非聞きたいです。

ありがとうございます。お題箱の投稿は常時けっこう溜まっているのを順次消化しているのでもう103回になってしまいました。

イラスト依頼が高額すぎるのがあまり良くない主な理由はクオリティ面というよりは単に依頼が通るかどうかの部分で、相場を超えて高額すぎると怪しいから(言うだけ言って納品後に逃走しそうだから)というだけです。
イラスト個人依頼って素人でもメール一本で出来てしまう上にそれをやる理由があるので、相手が高額取引できる信用に値する人間かどうかの判定はかなり賭けです。未払いで逃走した人間を頑張ればとっちめることが出来るとしても、そもそも頑張ってとっちめるのがコストなので、最初から怪しい人間を引かないに越したことはありません。逆に言えば、けっこう実績のあるYoutubeチャンネルを持っているとかで身元が確かな場合は高くてもあまり問題はないと思います。

あとこれはイラストレーターの考え方にもよると思いますが、高額な依頼は要求クオリティが高くなるというのも良し悪しではあって、報酬のプラスと労力のマイナスが打ち消しあって結局マイナスに転ぶという可能性もなくはないです。
自分のクオリティをコントロールする技能がない素人ならいくらで依頼されても二千円くらいのイラストを描いて渡すだけなので多ければ報酬は多いほど良いですが、プロの場合は十万円で依頼を受けたら十万円の仕事をしないといけないということがちゃんとわかるので、金額=仕事のクオリティに比例して手間もかかるでしょう。タスクのスケジュールとか実績の温度感に照らして、報酬が高くても労力が嵩みそうな依頼は断るという判断は十分に有り得ると思います。

 

476.以前「200年後の人類が凄惨な死に方を遂げる代わりに缶コーヒー1本出るボタンがあれば迷わず押します」みたいなこと仰っていたと思いますが、今でもその答えは同じですか?

今考えると缶コーヒー程度では押さない気がしてきました。十万円くらい貰えるなら押しますが、百円くらいならあってもなくても誤差なので別に押さない気がします。態度が軟化して大人になっている?

 

477.私は死ぬ迄にサイゼミ参加してみたいという願望を抱いているのですが、サイゼミの終わりとか考えているんですか?

終わりは特に考えていないです。

明確な目的がある活動ではなくそれ自体が面白いという動機で開催されているので、今後も面白そうな限りは開催されるしわざわざ終わりを考えることは特に無いでしょう。もしサイゼミが無くなるとしたら「今回で終わりです!!」みたいな感じで華々しく幕を引くのではなく、何となく開催間隔が開いていって誰も言い出さないうちに自然消滅する形だと思われます。

 

478.私は受験生であり、一浪してでも行きたい大学が有るのですが、浪人時の心境ってどんな感じなのでしょうか。
浪人時では無い、つまり、高三の時と比較して受験に対する姿勢は変わるのかどうか、興味があるので、ご教示頂けると幸いです。

浪人時の心境は修行僧みたいな感じでした。

僕は浪人時の受験勉強を「ひたすら無限に自己を研鑽して高める」というマインドで取り組んでいて、それは明らかに今と地続きのものです。周りで誰もやってない苦行を延々と続けられる性質、一人で映画興行収入上位を100本見たり、一人で延々と筋トレに打ち込んだりできるストイックさは確実に浪人時代に河合塾の自習室に閉じこもることで培ったものです。浪人によって苦行を快感に変えるマゾヒズムが開花したのは僕の人生を大きく左右した出来事の一つです。

ただしそれは僕は「絶対に東大に行きたいから歯を食い縛って頑張る」みたいなタイプではなかったということでもあって、そのあたりで投稿者の方とは根本的なモチベーションが異なっている気はします。僕は「大学どっか行かないといけないならまあ東大が一番いいか」くらいのモチベしかなく、東大の入学式が近づいてくるにつれて自分が学校嫌いだったことを思い出して「よく考えたら普通に行きたくなくね?」と思ってけっこう鬱になっていたくらいです。

高三のときは修行するモチベも頑張るモチベも無かったので完全な無でした。「ワンチャン受かったらラッキーだけど落ちても別にどうでもいいな~」としか思っておらず、当時何をどう勉強していたのかの記憶がありません(ただし公平のために言っておくと、それでも日本の高校生の平均の中では上位1%くらいには勉強していたはずで、東大受験生の中では下位1%だったということです)。受験結果を高校に報告に行く日、僕の表情があまりにも平然としていて悲壮感が一切なかったため合格と勘違いされたほどです。

まとまると、大学に受かりたいというモチベーション自体は現役時も浪人時もかなり薄かったですが、たまたま受験を自己研鑽ゲームとして遊ぶモードにスイッチが入ったのでバリバリに打ち込むようになったし姿勢はめっちゃ変わったという感じですね。

個人的には、少しでも浪人したいという気持ちがあって一年勉強する自信があって衣食住の懸念がないなら(親が金を出してくれるなら)迷わずに浪人すればよいのではと思います。「○○高校の一年生」とか「○○社の社員」とかいう社会的なステータスを何も持たない「特に何者でもない18歳無職男性」になってそれなりに負荷のかかる作業にひたすらに打ち込む一年間はやはり人間を変えます。僕自身は浪人して良かったと断言できますし、もし漫然とストレートで進学していたらこんなブログを書くような人間にはなっていなかったと思います。生存バイアスではありますし、責任は取れませんが。

 

479.Twitterに上げられていたlwさんの上半身を見て滅茶苦茶良いなと思いました。なので今現在のlwさんのトレーニングメニューを教えて頂きたいです。

ありがとうございます! 「今現在」というのがお題箱への投稿当時だとすると、時期的にこの辺のような気がします。

これをアップした時期は縄跳びとカロリー制限しかしていません。2022年の頭頃から減量期ということで半年くらいほぼ毎日2000回縄跳びして、1日の摂取カロリーを2000kcalに抑えていました。筋トレは全くしておらず、筋肉は2021年以前に付けたものが残っているだけです。

74kgから68kgまで落としたあたりで体重が減らなくなってきたので、減量は一旦やめて今は筋肉を増やすフェイズに移行しました。9月の今現在はこんな感じです。

 

480.花譜さんのほうが穏やかに吐き捨てる感じありません?

花譜さんとヰ世界情緒さんはかなり声が似ていますが、僕はヰ世界情緒さんの方が癖が強いと思います。花譜さんの方が静かな曲を歌いがちで、ヰ世界情緒さんの方は激しい曲も歌うという曲の違いもあるかもしれません。

個人的には花譜さんはジェラシスあたりが一番特徴的な声の出し方をしている気がします。

www.youtube.com

ヰ世界情緒さんだとギャラリアですね。

www.youtube.com

 

481.データサイエンス(統計?)に興味が出てきたので、頑張って勉強して転職してみようと考えているのですが、数学というと大学受験は解法の暗記で無理やり乗り切ったタイプで、自身に素養があるとは思えません。

自分で解法を思いつけなくても、書かれていることが理解できるレベルで職にすることは可能でしょうか?

素朴に考えると素養が無いスキルを職にするのはやめた方がいいと思いますが、この「素養があるとは思えない」という自己申告を信用していいのかどうかを今考えています。

というのは聞き方の時点でもう基本的に優秀な方であることが伺えるので、この自己申告を文字通りに受け取ることに抵抗を感じるということです。自分に特定分野の素養がないことを自覚できており、かつその根拠とレベル感を言語化するメタ認知能力がある時点で本当に全く素養がないとは思えません。本当に数学の素養が一切ない人には「いま正解したけどこれは自分で解法を思い付いたのではなく解法を暗記していただけだ」という自己認識はできません。

結局のところ質問の温度感次第ではあって、「解法の論理構造が理解できないため問題文と回答文のパターンマッチングしかできないが数学を職にできるか?」という質問なら絶対にやめた方がいいですが、「既存の定理は理解できる一方で自分で新しい定理を思い付けないため統計学の論文を書く自信はないが在野のアナリストになれるか?」という質問なら全然大丈夫でしょう。

ある解像度で見れば研究以外の数学なんて全部暗記みたいなものですし、統計学数学書に書いてある内容が初見で一つも解けなくても回答を読んで普通に理解して暗記して使えるのであればそれはかなりの素養がある気がします。今は幸いにもデータサイエンス関連資格はCBTでもたくさんありますし、簡単そうなところから挑戦してみて取れるかどうか確かめてみればよいのではないでしょうか。

22/8/24 お題箱回102:Vtuberの演者に関心を持つのはいいけど女性絵師にはやめた方がいい 常識的に考えて

お題箱回102

saize-lw.hatenablog.com

この歌ってみたにハマった記事の反響が若干あり、関連する質問が複数来ています。

 

460.歌い手の記事とても面白かったです。自分も現在20代後半、高校生くらいの頃に周囲でニコニコや歌い手文化が隆盛する頃に正に思春期を迎えており、自分はハマらなかったものの周囲には様々な歌い手ファンがいました。
その中でもLWさんの「キャラソンとして楽しむ」という楽しみ方は余り見たことのない楽しみ方だったので興味深いです。
自分の周囲では「地下アイドル的/インディーズバンド的な、世間は知らないけど私は知っていて応援しているミュージシャン」的な楽しみ方をしている方や、「前提として特定の好きな曲がありそのバリエーションを楽しむ手段として歌ってみたをdigる」方が多かったです。

LWさんがそこまでキャラクターという概念が好きで、実在人物を避ける理由は何ですか?
Vtuberでも、世間の人々はすぐキャラクターよりも前世だの中身だの彼氏だのに興味があるようですが何か思うこと等もあればお聞きしたいです。

ありがとうございます!
Twitterでも独特な見方みたいなことを少し言われましたが、オタクは皆キャラソンが好きだと思っていたのでやや意外でした。でも冷静に考えたら皆キャラソン好きだったら皆キャラソンみたいな曲を歌うはずなのでそんなわけはないですね。

とはいえ同じことはキャラクター自体にも言えます。僕は萌えオタクの類は皆キャラクターが好きだと思っているので、むしろキャラクターが第一関心ではない萌えオタクが存在していることが意外な気持ちです。
だから自分が実在人物を避けているとも思っていません。オタクだからキャラは明確に好きな一方、実在人物を好きになる理由は特に持っていないから完全にフラットで、相対的にキャラクターがめっちゃ好きな人に見えるのではないかと思っています。そしてキャラが好きであることに関して深い理由やエピソードは特にありません。美少女キャラクターが好きというのが岩盤で、その先はないということです。

Vtuberの中身に関して思うことはかなりあります。ここ一年くらいで「Vtuberの中の人」に対する僕の考え方は大きく変わりました。
結論から言えば、「別にVtuberの前世とか中身が気になるからといって、それはキャラより演者の人間の方が好きなことにはならないだろう」ということです(彼氏は流石にどうでもいいですが)。

結局人間じゃん勢が1番キャラの存在を認められていない(至言)

例えばファーストガンダムを見てシャアのかっこよさに感動した人が「これすげえアニメだから監督が何を思ってこれを作ったのか知りてえ」と思って冨野監督のことを調べ始めたとして、「それ結局シャアじゃなくて冨野が好きなだけじゃん」「本当にシャア好きなら冨野関係ないだろ」とはならないですよね。
それと同じで、ラプラスダークネスのキャラとしての振る舞いに感心した人が「どういう経歴があったらこのラプラスを演れるようになるんだろう」と思って演者に関心を持って調べるのも不自然なことではありません。Vtuberの演者はVtuberの創作者として最も重要な位置を占めているわけで、生身の人間というよりは一人のクリエイターとしてリスペクトされる権利があるし、クリエイターとしての能力に関連する範囲で関心を持たれるのはむしろ自然です。
Vtuberの場合はたまたまクリエイターの人が(声が)可愛い(多分)若い女性であることによって変な邪推がはびこっているのは相当に不健全だと思います。本当にキャラを信じていれば、演者を生身の人間ではなくキャラに奉仕するクリエイターとして見ることができるはずです。

僕が考え方を変えた背景には、Vtuber文化が商業化の末に極めてスキルフルな戦場になっていることがあります。
正直なところ、Vtuber黎明期においては「Vtuber演者がキャラクターを演じる才能」については少なくとも今と比べればかなり軽視していました。当初はキャラクター文化というよりは技術的な文脈も強かったこと、個人勢が強くてマネタイズするビジネスというよりは好きベースの趣味として見られていたこと、単に人数が少ないためにクオリティがそれほど高くなくても問題なかったことなどが理由としてあります。
しかし次第にブランディングビジネスとしてVtuberをやる大手事務所が参入し、無数の視聴者に対してキャラクターを演じる能力は誰でも持つものではない、むしろ類稀な宝石のようなスキルであることが明らかになっていきます。どんどん加熱する視聴者の奪い合いの中でファンを惹き付け続けられるキャラクターは極一握りですし、裏ではネタ集めに苦しんだり精神を壊したり声帯結節を患ったりで多くの脱落者を出しながら、最前線で生き残っているのは希少で高度なスキルを持つキャラクリエイト人材です。キャラを信じてクリエイターをリスペクトしましょう。

補足421:この文脈で僕がいま一番「持ってる」クリエイターだと思っているのは、るしあを演じていた人です。Vtuberで精神を壊したクリエイターの末路って大抵はお気持ち砲を一発撃ってフェードアウトするくらいが精々ですが、るしあを演じていた人は蓄積したスキルと信者を十全に活かし、なりふり構わないムーブで配信システムをハックしてあくまでも配信者としての数字で戦争を続けています。正直なところ、僕はるしあも飴宮もキャラ自体は別に好きではないですが、るしあを演じていた人のキャラクター配信における怪物的な才覚は敬意に値します。

 

461.LWさんが女性絵師や女性Vtuberを各段地位を上げたり特別視するのは女性が性的対象だからでしょうか?
私は男性で性嗜好も女性ですが、配信に関しても創作に関しても同性の方が感性が近い感覚があり好ましく思っています(時流的に大声では言えませんが)。女性だからと特別視する理由が余りわからず、気になります。

かなり大きな誤解があるようです。僕は女性Vtuberを特別視したことはあっても、女性絵師を特別視したことは一度もありません。
その二つはそもそもカテゴリーが異なるので同様に扱うことができないというのは僕にとっては自明だったのですが、適当に作った画像が思ったより真剣に解釈されたりして少なくない人に本意ではない誤解を招いてしまったようなのでここで釈明します。

とはいってもこれは当たり前の社会常識の話で、レースクイーンとかグラビアアイドルのような陽に性別が関与する職業ならともかく、そうではない場合に女性だからという理由で態度を変えるのはかなりやばい人で、僕はその手の異常者ではないというだけの話です。
イラストレーターはイラストを供給するのがパブリックな仕事で、それ以外は全てプライベートであるはずです。よって本人が関心を持たれることを望んで公開しているのでもない限りは、イラストと関連しない要素によって評価を変えるべきではありません。僕はその可能性が生まれることすら徹底して避けており、絵師の性別が女性である場合は支援をしないことに決めているほどです。

男性が女性を支援する営みは外から見たときに下心があるかどうか区別できませんし、最初からパブリックの領分を超えた個人的な接触の可能性は全て潰しておくに越したことは無いということです(これはこれでネガティブな特別扱いをしているという説はありますが、少なくともあらぬ誤解を受けるような文脈ではありません)。

これに関しては「女性絵師Vtuberの歌ってみたが熱い」と書いたときにも我ながら上手い表現をしています。

俺は絵師に対しては常にかなり強いリスペクトを持っており、その敬意は絵師がVtuberになったときに具体的な対象を得てより強固に適用される。具体的に言うと、他のVtuberが0点スタートで評価を積み上げていくとすれば、絵師Vtuberは80点くらいからのスタートになる。

絵師が「具体的な対象を得」るのは「Vtuberになったとき」で、それ以前はそもそも対象ではありません。他のVtuberと同じように消費コンテンツになって点数が付き始めるのはVtuberになった瞬間で、それ以前はカテゴリーエラーにつき点数が付かないということです。女性絵師VtuberVtuberなのでコンテンツですが、女性絵師は生身の人間なのでコンテンツではありません。
もっとも「雑な一枚絵でマリンの配信に顔出してた時代のrurudo先生」「クリエイターと芸能人の間くらいの振る舞いをする女性声優」というような微妙な事例はいくらでもありますが、境界付近に事例が存在することは明らかな区分を無効化することにはなりません。

 

462.LWさんのブログやTwitterを見る限り、アニメを見ている割にはあまり特定の声優の名前を出す事が無いなーと思っていたのですが、何故だか佐倉綾音さんだけ異常に(といっても数件だけですが)名前を明記していますが、何故でしょうか?
それと、声優やVTuberの演者について哲学的な視点からしか語っていないのは三次元の人間を性欲の捌け口にする事に抵抗が有るからでしょうか?
(仮にそうであった場合、私はこの考えに共感を覚えます)
その様な記事を見た記憶があるのですが、見つけられなかった故の質問です。

一つ目の佐倉綾音の名前を出すことが多いことについてはそんなに深い理由はありません。
分析哲学者が任意の人間一人を指すときに適当にソクラテスを使いがちなのと同じで、最初は適当に挙げていたのが癖になった程度のことです。一応かなり特徴的な声をしているので好きな方の声優ではありますが、早見沙織の方が好きです。

二つ目については完全に正しいです。
正確に言えば三次元の人間を性欲の捌け口にすること自体は構わないと思っていますが、AV女優のような最初からそれを誰もが意図しているケースでもない限りは、それを公に発信することには抵抗があります。キャラクターにはどんなに性欲を向けていることを表明してもよいが、現実の人間に対しては徹底的に避けるべきであるという線引きが明確にあります。
Vtuberのキャライラストとか百合イラストをリツイートに関して萌え~とか言ってるときも僕は徹底してキャラクターの話しかしていないのですが、演者の話と思われていることがあるらしいのはかなり不本意な誤解です。

フィクションと実在の異性に対する倫理に関しては以下の記事が僕と同じ見解なのでこちらを読んでください。特に冒頭の表には完全に同意します。

keylla.hatenablog.com

ただ相違点があるとすれば、僕はキャラのことを100%キャラとして見ている自信があるので、「半ナマモノかもしれない」という悩みは抱かないところです。
というのも、わざわざ丁寧に「言及してもよい」と付記してあるため言及しますが、冒頭に書いてある「○○さんのエロ絵がほしいな」みたいなツイートをしたのは僕で、そのツイートは以下です。

これはキャラに関するツイートで演者とは無関係です。一応検索避けをしているのは単にクリエイターに対する配慮です(つまり対象のナマモノへの配慮ではなくキャラ周辺の関係者への配慮です)。
例えば「ワンピのウタが四肢切断されてるイラストが見たいンゴねえ」と思ったとして、そのままツイートすると普通のウタ好きのフォロワーを嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないから一応鍵垢でのツイートにしとくのと同じです。クリエイターなどの関係者が検索をしてツイートが目に入ってしまった場合に不愉快な思いが生じることは本意ではないので検索には出ないようにしただけです。ナマモノがどうという話とは関係ありません。

 

463.V.W.P(ヰ世界情緒さんがいる箱)の方々の歌ってみたの評価が気になります。

基本的に歌以外の情報をあまり調べないので、この投稿で箱所属であることを初めて知ったのですが、やはりヰ世界情緒さんが一番良かったです。
良い意味で一番変な声をしているというか、特徴的で弁別しやすい声をしています。他の方も歌が上手いですが、星街すいせいさんタイプと同じで普通に上手い以上のキャラクターソング的な強さはあまり感じられませんでした。これって僕が特徴的な歌声ベースで評価しているからそうなるのか、それとも人によって特徴的だと感じる歌声そのものが異なるのかどっちなんでしょうか。

 

464.いつもブログを拝見させていただいてます。Twitterウマ娘とBOSSの広告について厳しく発言されていたのが印象的でした。私はウマ娘に明るくないので静観するのみですが、LWさんが本気でお気持ちの文章を書いたら滅茶苦茶バズりそうだなと思ったりしてました…。というただの感想です。これからも応援しております。

ありがとうございます。これは5月頃にBOSSが怪文書マーケティングをやった頃の話ですね。

今見るとキレすぎだろという気もしますが、こういうマーケティングに流行ってほしくないという気持ちは変わっていません。
サントリーという企業の粒度で見たとき、このマーケティングはオタクの推し文化に便乗してコーヒーを売ろうとしている文化のフリーライド以外の何物でもないからです。ウマ娘コラボ担当者がウマ娘大好きなオタクなのは本当だとしても、このマーケティングを仕掛けている主体はどう考えてもその担当者個人ではなく巨大資本です。

別にオタク文化を金に換えるなと言っているわけではなく、「最低限の誠意ってあるよね」という話です。
他の数多のコラボ商品だって萌えキャラのイラストをあんま関係ない商品にくっつけて売り上げを伸ばしていますし、パセラとかスペイシーはもっと露骨に推し活の場所を提供するという形でオタク文化にライドしています。
とはいえ、その二つはどちらもオタク文化を支援するという体裁が存在しています。仮に資本サイドが金儲け目的だとしても(仮にというか事実ですが)、オタクサイドは新規イラストが得られるなり活動場所が得られるなりでウィンウィンであるという関係があります。その実質的な貢献部分が抜けてしまって仲間意識の強調しかない怪文書マーケティングには、資本側からの一方的な利用関係しか残っていません。

一応、今回もウマ娘がジャケットを着ているけっこういい感じの新規イラストは別途に供給されていたので、ボスコラボの全てがダメだったというわけではありません。ウマ娘の新規イラストさえ隣に描いてくれるのであれば、それで資本サイドから一定の供給をしているという体裁は成立するので良いと言えば良いです。
ただし駅や媒体によっては怪文書広告だけが並んでいてウマ娘のイラストが見当たらない場所も多くありました。少なくともその現場においては怪文書だけでもコーヒーを売る効果があると見込まれて出稿されているのは明らかで、その部分的に舐めている搾取的な態度が僕は著しく気に入らなかったということです。

 

465.サブスク系のサービス(Amazon primeとかSpotifyとか)使ってますか?

使っています。以前からよく使っているのはAmazon PrimeYoutube Premiumで、最近Spotifyも登録しました。実体のないサービスにお金を払うことに抵抗がある時期もありましたが、今は適応してサブスクというものを完全に理解しました。

サブスクは単体購入よりもコスパが良いことに加えて、潜在的な可能性に対する課金というかなりハイコンテクストな購入形態でもあります。具体的に言えば、実際に映画を見て利を得る以外に「俺はアマプラに登録しているから見ようと思えばいつでも見られるんだぞ」という安心感を得るために加入している節があります。つまり「実際に消費していないし消費しようと思ってもできない状態」と「実際には消費していないが消費しようと思えばできる状態」が明確に区別されていて、実体ではなく権利を得ることに対してお金を払う価値があります。

こういう「構え」って非常に大切で、貯金の本質ってそういうものだった気もします。人生計画が単純なため何事もなければこの先の人生で大きく散財する予定がない人でも(具体的に言えば結婚や出産の計画が無い人でも)、「いきなり結婚したくなったときのため」「いきなり病気になったときのため」「いきなり欲しいものが生まれたときのため」というモチベーションで貯金を貯めていることはよくあります。
この構えとして蓄積した現金はどこかで清算されない限りは構えとして無限に繰り越されることになりますが、サブスクに換えた場合は構えの形式が変わります。「構えの現金」を物品に実体化するのではなく「構えの視聴権」に変換するという、構えの変形に僕はサブスクの本質を見ます。

 

466.ブログ見て自分も書見台買おうかなって思ってるですけど本を立てかける部分の奥行きってどのくらいのものを使ってますか?

今測ってみてちょうど3センチでした。
実際に見るとやや狭いですが、800ページくらいある辞書みたいな本を読むときもあまり困ったことはありません。さすがに本来の形できちんと収めることはできないものの、背表紙あたりが乗りますし厚い本は自重で抑えられるのでどうにかなります。

 

467.コンテンツに対してどの程度消費するかの基準を決めてからコンテンツに触れるようになったきっかけってあったりしますか?

あまり思いつかないですが、強いて言えば受験戦士だったこととかが関係あるのかもしれません。受験勉強はまさしく規定されたスキルセット(私大以外は原則として標準的な中高教科書カリキュラム)の中で精度をどれだけ高められるかという戦いなので思想としてはよく似ています。

 

468.かしでっくって何者なんですか?

この質問は昔から無限に来るのですが「実はあのアルファツイッタラーのサブアカウントです」「実はあの有名ブログを書いている人です」「実は昔一度話題になった人になったあの人です」みたいな答えが望まれていることが最近わかってきました。
そういう意味では特に何者でもないただの男です。親しい友人の一人ですが、インターネット上で対外的に紹介するプロフィールは特にありませんというのが僕が言うべき答えだった気がします。

22/7/30 お題箱回101:美少女化願望、アーバンギャルド、AI拓也など

お題箱回101

448.進撃の巨人終わっちゃいましたね
2年前の感想と比べて、いまなにを考えてますか?

感想を書きました!

saize-lw.hatenablog.com

2年前はちょうど最後の章に入ったくらいで、あまりにもテーマが変わりすぎて話を畳み切れないのではと警戒していましたが、最後まで安定して面白かったです。

 

449.蔵書数50万冊を超える自治体の中央図書館はまともな図書館と言えますか?車で少し走ったところにそんな図書館があります。児童・学生のための場所かもしれないと敬遠していましたが、もし良さそうならこれからは足を運んでみようと思います。

僕がよく使う色々な図書館の蔵書数を軽く調べてみた感じ、50万冊あれば十分すぎると思いました。
体感的には最低限欲しいのは20万冊で、だいたい35万冊あれば不足がない気がします。逆に10万冊を切っている図書館は探索先としてはあまり機能せず受取窓口や作業場として使うことが多いです。

ちなみに僕はほぼ毎週末図書館に行っていますが、学生より大人の方が遥かに多いです(児童は子供図書館みたいなところに隔離されているので図書館内ではあまり見かけません)。

 

450.Github の表示制限の件、Gitlab だと、1Mib で一旦非表示掛かりますが、load it anyway できるので、移動もアリだと思います。

ありがとうございます! この件ですね。

Githubで1MBを超えた場合でもコミット差分が出なくなるだけで生のテキストデータはそのまま見られることがわかったので、一旦そのまま使っています。今後更なる不便が生じたら移動してみます。

 

451.エロファボにLWさんくらい情熱を注いでる人って一般的に、夢にそのキャラがエッチな姿で出てくることがしょっちゅうあるか気になる

淫夢(ホモビじゃない方)の話を他人とあまりしないので一般的なことは不明ですが、僕に限ったことで言えば特にないです。
キャラが出てくること自体は無くはないですが、エッチな姿はまずありません。基本的にはフィクションの鑑賞者という立場なので、夢に出てくるような生のリアリティをそれほど感じてはいない気もします。まあ出てきた方が嬉しくはあります。

 

452.イラスト練習したりとかはしないんですか

無しでは無いですが、現状では考えていません。

自分でエロファボする水準まで到達するにはそうとう時間がかかりそうでコスパが悪いのと、いま他人のイラストを消費する体制で特に不満を感じていないからです。どうしても見たいイラストがあればコミッションで発注する手もありますし、自分が創造しなければならないという意志が今のところありません。

 

453.時々Twitterリツイート後に「これわたし」と言ったり、ブログで「自分が美少女になる場合はそれで全然いい」みたいな表現を用いますが、Lwさんには美少女化願望がありますか?ジュリエットさんに愛されたいですか?

美少女化願望はありますが、オタクが誰でも持っている程度のレベルだと思います(普通に考えてオタクの男より美少女の方がよくない?)。

誤解の無いように一応言っておくと、ここで言う「美少女になりたい」というのは「今この瞬間に橋本環奈になりたい」というのとは全く違います。
この現実世界で美少女になってもろくなことが無いので、全身整形技術みたいなものによって無料で美少女になれるとしても恐らく拒否します。美少女作品の世界に転移した上で美少女キャラとして振る舞わないと意味がないため、そういう意味で半分くらいは異世界転生欲求も含んでいます。

ジュリエットさんはラノベのキャラとしては好きですが、僕自身が好きなキャラではないので愛され願望はそんなにないです。自己完結していて他人への関心が薄く、こちらに興味を向けないタイプのキャラが好きです。

 

454.理系学問はあと数個資格を取ったら小休止、とのことですが、とった中でどの資格が楽しかったなどありますか? 私は情報系やpcは興味外なのですが、暇なときのゲーム感覚で高校数学の問題をちょくちょく解いていて、その延長線の感覚でよさそうな資格などあったらとってみたいなと思っています。もしおすすめなどありましたら教えてください。

概ね難易度と楽しさは比例し、楽しかった資格は統計検定1級とか応用情報技術者です。
他の細々した簡単な資格は「一つ取ったところで何にもならないが全部取れば流石に少しは映えるだろう」というモチベでやっているので、個別に見てもそれほどは楽しくありません。

情報が絡まない数学の資格で僕が取った範囲だと、データサイエンティスト数学ストラテジスト上級と統計検定が該当します。
特に前者は高校数学範囲が主で自宅からIBTで取れるのでかなり手軽だと思います。後者は統計学に特化した知識も必要になりますが、たしか2級くらいまでは高校数学レベルだったはずです。
ちなみに高校数学の問題をちょくちょく解いているのであれば御存知かもしれませんが、最近は中高教育で数学カリキュラムがけっこう強化されて統計・データ周りも充実しているので高校数学での統計の水準もぼちぼち上がっていたはずです。今時その知識だけで統計検定2級くらいまではフォローできていたりするかもしれません。

 

455.アーバンギャルド好きな理由知りたいです

確かにアーバンギャルドは好きなコンテンツどころか人生のベースラインになってるレベルで好きですが、改めて理由を聞かれるとけっこう説明に困りますね。
サブカル全開で哲学要素とか政治要素入ってくるし斜に構えたオタクは皆好きだろと思っているので、逆に好きじゃない人はどういう特殊な事情があって好きではないのですか?と問い返したくなります。

公式Youtubeチャンネルでこれまでのアルバム・シングルがリストになっていてだいたい全部聞けるので、潜在的にはアーバンギャルドが好きだけどたまたま触れる機会がなかった人たちは聞いてみてください。基本イヤホンで大音量で聞いた方がよいです。

www.youtube.com

もう10年以上前に中野ブロードウェイをタラタラ歩いているときにまんだらけから『前髪ぱっつんオペラ』が流れてきたときの衝撃はまだ忘れていません。その場でガラケーで歌詞を調べて、渋谷TSUTAYAでアルバムを借りてファンになりました。
さすがに今聞くとちょっとパンチが弱い気もしますが、『スカート革命』とか『水玉病』に並んで初期の超名曲です。

www.youtube.com

他にも名曲が無限にありますが『都市夫は死ぬことにした』『コミック雑誌なんかILLかい』『オギノ博士の異常な愛情』あたりが特に好きです。松永天馬がグイグイ来る曲の方がいいですね。

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

 

456.なわとびってどこでやってるんですか?

住んでいるマンションの駐車場です。

主に朝の通勤通学時間帯に飛ぶので、会社や学校に向かう人たちにめっちゃ見られます(僕は出社時刻が遅いので無職かテレワークと思われてそう)。軽く会釈していく人が最も多いですが、子供が超ガン見してきたり、お婆さんが話しかけてきたりすることもよくあります。
僕は運動している姿を不特定多数に見られることを全く気にしないので構いませんが、少しでも気にする人には厳しい環境です。

 

457.AI拓也について語って欲しい、かなり面白いコンテンツなのに観測範囲で触れてるのがLWさんしかいないので…

語りたさはあります。AI拓也がちゃんと体系的に語られていない状況は明らかに世界の損失です。
今後確実に発生するであろう自然言語生成技術をエンタメへ転用する流れにおいて、AI拓也での試みの数々は重要な参考点になると思っています。様々な技術的手法や娯楽的表現が精力的に試みられると共にそれを評価する場も整っており、題材が絶望的であることにだけ目を瞑れば最先端のエンタメを供給する場としてニコニコ動画が再評価されるポテンシャルすらあります。
ただ基本的に肛門性交と人権侵害がベースにある終わっているコンテンツなのと、既に大量の作品が供給されており流れや技法を精査するのが結構手間がかかるし汚いという問題があり、いつどこでちゃんとやるべきかと二の足を踏んでいます。正直僕じゃなくて他の誰かにやってほしいです。

一応語るべき方向性をざっと述べておくと、最大のポイントはやはりAIによる文章自動生成を娯楽に転用する技法についてだと思います。
AI拓也は最初期こそ単にAIのべりすとに怪文書を学習させてから文章を自動生成するだけでしたが、与える怪文書とチューニングによって明確に出力の巧拙が変わることが周知され始め、今では初音ミクの調教と同様に自動生成時のパラメタ調整は投稿者の技巧の一つとなっています(いわゆるウル狂ラーニング→)。
また、生成時にも「基本的にはAIのべりすとに文章生成させながら、投稿者がたまにガイドとなる文章を混ぜて誘導を行う」という対話的な使い方がデファクトスタンダードになっています。その際に「AIのべりすとが生成した文字は白、投稿者が書いた文字は赤」という表示が一般的に用いられるようになり、この一つの文章内に水準の異なる紅白の文字が混在するという特異な執筆環境を起点にして様々な技法が探求されています。
例えばAIのべりすとを明示的に相談相手や作家に見立ててQ&Aやインタビューという形式で文章を生成したり(→)、AIのべりすとと投稿者の間の文章の綱引きをボケツッコミ的な喧嘩ギャグとして描写したり(→)、お互いにそれぞれが生成している文章へのペン入れを介入と捉えてメタ文学を試みたり(→)、セッションを音楽として音MADを作ったり(→)、本当に様々な試みがあります。拓也系動画は『かまいたちの夜』のように画面全面に文字を表示するのが一般的であり、旧来の淫夢動画と比べて動画の編集コストが非常に低いのも多くの投稿を後押しする一因となっています。

これらはほんの氷山の一角であり、自動生成される設定間の複雑な相互参照によるハイコンテクスト化や、基本はサウンドノベルでありながらAIが活きるように工夫された文字演出、執筆者が人間である場合とAIである場合の受け手側の反応の変化など、他にも話題は無数にあります。AIのべりすと利用にあたってこうした先駆的な技法や探求の流れを理解しておくだけでも大きなアドバンテージとなるはずです。

 

458.KSUってなんなんですか?
(既にどこかで公開されている情報でしたらすみません。。。)

京都産業大学の略です→
僕と仲の良いカードオタクたちに京都産業大学出身者が多くて、その辺の人たちの総称として「KSU」が用いられています。名前を借りているだけなので京都産業大学と関わることは一切ないですし、僕が京都産業大学に行ったことも一度もありません。「わさらー団」みたいなもので深い意味はありません。

 

459.4630万円が誤送金されたらどう立ち回りますか?

一応ワンチャン返金しなくて済むかどうかを士業の知り合いにLINEで聞いて、「無理でしょ」みたいな返答を確認してから普通に返金して終わりだと思います。取ったきりで逃げ切れるわけはないですし、物理的に(デジタル的に)自分の口座に入っていたとしてもそれは売掛金の回収途中みたいなもので自分の資産という感覚はないです。

立ち回り上手い人は田口氏がネットカジノを試みたように短期的な事業やギャンブルの種銭として使ったり、Youtubeでいい感じに再生数稼いだりできるんですかね?

22/7/23 2022年5月消費コンテンツ

2022年5月消費コンテンツ

データサイエンス・統計系の資格を取りまくっているのもコンテンツ消費なので今月から記載することにした。合格して初めて消費した扱いとする(例:応用情報技術者は4月に受験して6月に合格したので6月の消費コンテンツ扱い)。

試験というのも作者が思いを込めた一つの作品であって、映画やアニメと同じように鑑賞対象になる。という見方は試験に馴染みのない方には奇抜に聞こえるかもしれないが、受験業界ではわりと常識的なものだ。
試験においては作者がどんなスキルをどうやって確かめたいかという意図が問題の形で表現されている。映画でもこんな作品を作りたいという監督の目的が具体的な動画の形で表現されるのと同じだ。どんな意図が背後にあったか、それは上手く表現されているか、意図を超えた効果は生じているかといった見方で鑑賞できるのは試験も映画も同じだ。

だから受験業界でも優れた問題は高く評価されて後世に残っている。オタクに「まどマギの3話がさあ」とだけ言えば「そこから続く逆張りサブカルチャーがさあ」とか勝手に語り出すのと同じで、熟練の受験戦士に「東大2003年数学問6がさあ」とか言えば「当時の風潮に対する問題意識がさあ」とか勝手に語り出してくれることだろう。

補足419:ただし試験問題が学術的に優れていることはまずない。試験は新しい知見を生み出す機能を持たないからだ。

補足420:なお個々の問題は月並みでも、どんな問題を集めるかという出題範囲によって作者の意図が表現されることも多い。それは機械学習のためのデータ収集の法的な扱いにも似ている。データ収集において個々のデータには著作権が認められないが、それらを一定の目的の下に集めた体系的なデータセットには研究者の意志が反映されていると見なされ著作権が生じうる。

よって難易度の低い資格試験については(パスするのは前提として)作品として鑑賞するのも大きな目的の一つになっている。どう考えてもノー勉で合格できる難易度であることは試験範囲を勉強しない理由にはならないし、少なくともオフィシャルテキストが刊行されている場合はまえがきも含めて熟読することにしている。
そうすると資格の色々な表情や格が見えてきて一定の評価と感想を生む消費コンテンツになってくるものだ。例えば「これは流行にいっちょ噛みしたいだけの資格だな」とか、「これはこの分野に特化しようという強い意志があるな」とか、「これはまだ新しい資格だがこれからデファクトスタンダードになるだけのポテンシャルがあるな」とか色々ある。

メディア別リスト

漫画(65冊)

ゴールデンカムイ(全31巻)
進撃の巨人(全34巻)

書籍(5冊)

知への恐れ
退屈なことはPythonにやらせよう
データサイエンティスト数学ストラテジスト上級公式問題集
ディープラーニング活用の教科書
あたらしいPythonによるデータ分析の教科書

映画(2本)

シン・ウルトラマン
タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら

資格(2個)

データサイエンティスト数学ストラテジスト上級
Python 3 エンジニア認定データ分析試験

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

進撃の巨人

消費して良かったコンテンツ

退屈なことはPythonにやらせよう

消費して損はなかったコンテンツ

ゴールデンカムイ
Python 3 エンジニア認定データ分析試験
あたらしいPythonによるデータ分析の教科書

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら
シン・ウルトラマン
知への恐れ
ディープラーニング活用の教科書

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

データサイエンティスト数学ストラテジスト上級公式問題集
データサイエンティスト数学ストラテジスト上級

 

ピックアップ

進撃の巨人

先週記事を書いた。

saize-lw.hatenablog.com

めちゃ面白かった。これは日本を背負って立つ漫画。

 

ゴールデンカムイ

5月頭頃にあった全話無料公開期間中に読んだ。

なかなか面白く、キャラクター群像劇漫画としてよくできていた。脱獄囚を筆頭に各キャラが魅力的であることに加えて、組み合わせをガンガン変えていって掛け合いをすればするほど面白くなる。各キャラに部分的に協力するインセンティブを与える設計が上手い。

ただ、局所的なキャラクターの起源やモチベーションの描き方には納得感がある一方で、タイトルにもなっている金塊を巡る騒動については最後まですっきりしないところがあった。金塊争奪戦は群像劇としては、つまりそれぞれの個人レベルの欲望によってドリブンされているものとしては読めるが、もっと大きなレベルとして明らかにテーマとなっている民族独立問題が上手く描けていたのかは微妙なところだ。
もっとはっきり言えば、金塊の行方が結局のところアイヌ独立という歴史的な空白に落っこちていって特に何にもならず消滅したことに大きな不満がある。冒頭から一貫してアイヌの暮らしや風俗を丁寧に描いていたリアル路線と、アクション漫画を動かすために架空の金塊を存在させてしまったフィクション路線の間で、虚実の落としどころを付けられていない印象がある。

とはいえ俺もアイヌの歴史には全く詳しくないため、もっと詳しい人からすると史実とシナジーした上手い読みみたいなものがあって、俺がそれに到達していないだけなのかもしれない。この漫画に関しては明らかに実社会の知見が評価に絡むので、煮え切らない気持ちのまま判断を保留したい。

 

タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら

ぼちぼち面白かったがかなり惜しい映画。

序盤から一貫して見た目と内面の食い違いがテーマになっていて、中年男二人が本当は割と善人であるのに見た目で大学生や警官たち初対面の相手からは徹底的に怪しまれてしまうという困難がはっきり設定されている。
その中で唯一解決のキーを握っているのがヒロインの女子大生で、彼女が中盤でラスボスの男子大学生と話し合いの場を設けたシーンはかなり良かった。その場に限っては一旦外見を脇に置いて、少なくとも彼らから見た限りでの真相をお互いに語るという歩み寄りの中で、男子大学生側は実は単に外見ではなく彼の中の真相に従って行動していたという捻りも魅力的だ。
一見すると勘違いから発生した戦争を描くアンジャッシュ的B級スプラッターであるように見えて、話し合いをソリューションとするギャップには独自性がある。

しかし、そこでこの映画は事実上終わってしまう。火事が起きてラスボスが発狂したことによって残りは残飯みたいにチープなB級アクション映像が流れて終わりだ。
主人公が開き直って勘違いされることを受け入れて戦ってしまい、女子大生と付き合えてよかったねというカスみたいな終わり方へと一直線に進む。実はラスボスすら勘違いに囚われていたというテーマが再び顔を出すのだが、そんなことは特に関係なくどついて終わらせてしまう。

この手の途中からいきなりテーマを放棄して終了する作品を俺は「脚本の人が途中で死んだ作品」と呼んでいる。

 

シン・ウルトラマン

面白くなくはなかったが、ウルトラマンが好きな人向けのFDで俺は想定層ではない。

ただ正直に言えば、『シン・ゴジラ』の格が事後的にちょっと下がったなという気持ちはある。
シン・ゴジラ』には官僚的対応のコメディ描写においてゴジラ映画の枠を超えた独特の強い魅力があったが、『シン・ウルトラマン』では同じようなものが試みられていた割には単に劣化していたからだ。『シン・ゴジラ』という映画に固有の魅力だと思っていたものが実は「シン」シリーズの作風であって、しかも二作目で劣化することもあり得ることが示されてしまった。これによって『シン・ゴジラ』が「単発の超名作」から「シンシリーズの中ではたまたま上手くいった方の映画」に格下げされてしまったような気はする。

 

知への恐れ

『有限性の後で』が面白かったと言ったら勧められたのだが、これは正直かなり微妙だった気がする。確かに新しい実在論の潮流と志を同じくしているし問題提起は鮮やかで平易だが、それだけ。

全体的に肝心の論証に成功しているとは思えない。例えば「真でない命題のみで成り立つ認識体系が真であることは受け入れ不可能である」というテーゼが主張されるが、俺はそれは普通に受け入れ可能であるように思う。別に個々の命題が本当に真であるという確信までは持たなくても、個別判断を一旦留保して暫定的にプラグマティックな結論を信じているフリをやっていくことは十分可能なように思われるし、少なくとも自然科学の一部はそのような態度で回っている。
また、「結局我々から見て現実的・整合的な体系しか受け入れられない(ので受け入れ可能な体系は見た目よりも遥かに少ない)」という主張も論証が論点先取であり納得感はない。マルクス・ガブリエルとよく似た、重要な点については常識的な感性で片付けようとするタイプの議論だ。

 

Python 3 エンジニア認定データ分析試験

www.pythonic-exam.com

名前通りPython3でのデータ分析技能を証明する資格。難しくはなく、60分の試験が10分で終わって97.5/100点だった。
これを取ったからといって何かができるわけでもないが、これも取れないようだと何もできない。俺は元々エンジニアではないし実装は専門外なので若干の勉強にはなった。

とにかく実務志向が強く、環境構築からコーディング規約まで試験範囲に含まれているのは思想の強さを感じる。また、Pythonでのデータ分析には標準ライブラリではなくサードパーティ製のライブラリが使われるのが一般的なことを受けて、Pythonというよりはそれらの特化したモジュールについて問う試験となっている。
これからPythonでデータ分析をする予定があるなら取ってもよいが、使う予定はない人や単にPythonの勉強をしたいというレベルの人には微妙なところ。

 

データサイエンティスト数学ストラテジスト上級

www.mathdatascience.jp

「データサイエンス数学ストラテジスト」は、データサイエンスの基盤となる数学スキル、リテラシーを学び、その理解度・習熟度を測定することで、データサイエンスにおける数学を扱う技能を認定する資格です。

(公式HPより)

データサイエンスの数学部分をフォローするらしい資格。難しくはなく、37/40点で最高評価☆☆☆だった。

正直なところ、「データサイエンスブームに数学検定協会がいっちょ噛みしてきた」という印象の資格。出題範囲が適当に寄せ集めているだけであまり思想を感じない。
公式テキストに書かれている分野はかなり広く、二次方程式の解法からパリティチェックまでかなり満遍なく出るが、ドメイン知識とか言ってこじつけてるだけの問題も多い。三角形の外接円の求め方とか積分の漸化式処理をデータサイエンスで何に使うつもりなのか俺にはよくわからない。
ただ思想がフニャフニャなせいで無駄に範囲が広くなっており、もともと理系ではない人や高校数学が怪しい人にとっては相当しんどいだろう。

ちなみに今も掲載されているサンプル問題があんまりにもあんまりな内容なのでTwitterでバカにされていることが悪名高いが、これは概ね罠である。

確かにこのレベルの問題も出るには出るが、難易度の上下ブレが異常に広い中で最低ラインの難易度。上はArctanマクローリン展開くらいまでは範囲なので、シグマの定義を知っているだけで戦えると思ってかかるとさっくり弾かれることになるだろう。

 

生産コンテンツ

ゲーミング自殺 16連射アルマゲドン

趣味で書いている小説『ゲーミング自殺 16連射アルマゲドン』の進捗報告です(前回分→)。
一旦最後まで終わったので二周目に入って要らない部分を捨てたりする改修を続けています。5月は表紙イラストを依頼できるイラストレーターの方を探してメールやメッセージを出し続けていましたが、ようやく6月に引き受けて頂ける方が見つかり、10月くらいには投稿の目途が立ちました。めでたい。

字数

329125字→343166字

各章進捗

第一章 完全自殺マニュアル【99%】
第二章 拡散性トロンマーシー【99%】
第三章 サイバイガール【99%】
第四章 上を向いて叫ぼう【99%】
第五章 聖なる知己殺し【99%】
第六章 ほとんど宗教的なIF【99%】
第七章 ハッピーピープル【99%】
第八章 いまいち燃えない私【90%】
第九章 白い蛆ら【99%】
第十章 モモチャレンジ一年生【99%】
第十一章 鏖殺教室【99%】
第十二章 よくわかる古典魔法【99%】
第十三章 神っぽいか?【99%】
第十四章 別に発狂してない宇宙【99%】
第十五章 世界の有機構成【80%】
第十六章 パラノイアエスケープ【80%】

キャラ紹介⑧ 趙ちゃん

プロゲーマーのヒロインで、怪しい中国語を使うチャイナガールです。一人称は我、二人称は汝です。

誰よりも不真面目なプロゲーマーであり、金に魂を売っている拝金主義者です。
試合のたびに高額で買収を受け付けることを公言しており、僅かでも勝率を上げたいどこかのプロゲーマー事務所が匿名で振り込み、それを確認して試合開始直後にサレンダーしていることが多いです。当然ボコボコに批判されますが、Youtube謝罪配信という名目で開き直って歌って踊って有耶無耶にするところまでがいつもの流れです。

しかしこの滅茶苦茶な買収が成立しているのは、趙と正面から戦えば勝算は薄いと考える人が相当数いる程度には彼女が実力を認められているからでもあります。
シンプルな暴力性能に特化した彼方とはまた別のベクトルで趙は最近接戦闘を得意としており、雑な合気っぽいやつで全てをふんわり投げ飛ばしてしまいます。彼女に有効打を届かせるのは彼方でも至難の業で、最近接距離で彼方と相対して確実に無傷で抜けることができるのはプロゲーマー界広しと言えど趙くらいのものです。

そうやって正面からの殴り合いを回避しているからというわけではありませんが、彼方との仲は割と良好で、会えば少しお茶をする程度の仲ではあります。
もちろん彼方は本気の趙と戦いたいと思っているものの、趙があまりにも不真面目であるために却って諦めが付いて呆れ半分に肩の力を抜いて話せる相手となっています。全てが適当に見えて大局的には意外とベターな方向に進んでいることが多いのは趙が持つ数多い長所の一つです。

2022/7/16 『進撃の巨人』全巻読んだ感想 至高のトライアスロン的エンタメ

泊まったスパ銭で最終巻まで全部読んだ。

3年前くらいにも28巻まで読んでめっちゃ面白いと思って記事を書いたが、最終巻まで読んでも非常に面白かった。確実に人生に残るコンテンツの一つで、これが残らなかったら逆に何が残るの?というくらい面白い。

saize-lw.hatenablog.com

最後まで読んで改めてエンタメとして凄まじいと思ったのは、物語の段階によって面白さの種類が明らかに全く違うところだ。
時期によって色々な評価軸を渡っているのにも関わらず、全てが最高峰クラスに面白い上にそれぞれの内容が分断されずに滑らかに繋がっている。全体を通して文脈を乗り移るアクロバティックさと話を着実に進めるソリッドさを兼ね揃えていることが、あらゆる要素について複層的な読みを可能にしている。

具体的に言えば、この漫画は初期は「極めてグロテスクで強大な敵に対抗する人類」という割とわかりやすい少年漫画的なモチーフでスタートし、最初に人気を得たのもその文脈だった。巨人の強さ不気味さ、立体機動装置のスタイリッシュさ、絶望的な世界観など、アクション漫画としての設定的ビジュアル的な質の高さが初期の人気を支えており、大して漫画に詳しくない人は今もそんな内容の漫画だと思っていることだろう。
ところが、中期では巨人との闘争は一旦なりを潜めるようになる。代わりに人間が巨人化できることが明かされ、クローズアップされるのは底が見えない世界の謎と人間同士の利害争いだ。それは必ずしもライナーたち島外勢vsエレンたちパラディ島勢という構図だけではなく、壁内でも調査兵団憲兵団の衝突が描かれるようになる。
そして後期マーレ編では全ての謎が一気に種明かしされ、もはや謎の残っていない世界で誰が何をすべきかという人生を懸けた国家間戦争に移行する。マーレ編がスタートした瞬間にほとんど全ての真相を明かしてしまったのが本当に凄いと思う。中期の謎を隠して話を引っ張ることもできたはずだが、謎を全部明かしてしまってもなお新しい戦争の面白さで話をドライブする自信があったのだろうし、それは実際に成功している。

こうしてこの漫画の面白さは段階によって次々に変わっていく。具体的に言えば、初期は「怪物の面白さ」、中期は「謎の面白さ」、後期は「戦争の面白さ」が評価軸になっていた。
各段階でまるで別漫画のように異なるテーマを扱いながらも、登場するキャラクターやガジェット自体は一貫しているのが肝だ。キャラや技術のコアはそれぞれの段階を歩む中でブレることがないが、テーマの変化に応じてまるでトライアスロンのように最低でも三段階の異なる意味付けを与えられる構造になっている。

例えばダイナ・フリッツというキャラクターについて考えてみよう。
「怪物の面白さ」がテーマである初期ではエレンの母を食うことで「極めてグロテスクで強大な敵」としてエレンに原始的な復讐心を植え付ける役割を担った。
「謎の面白さ」がテーマである中期ではエレンと接触して始祖の巨人の力を発動させることで「謎の能力を持つ不可思議な生態の巨人」として世界の謎を更に深める役割を担った。
「戦争の面白さ」がテーマである後期ではエレンと間接的な血縁関係にある元人間だと明かされ「民族間戦争の悲惨な犠牲者」として世界の過酷さとそれに翻弄される人間の脆さを描く役割を担った。
これらの異なる役割はスターシステム的に独立に与えられているわけでは全くなく、それぞれの因果関係が連関するようにはっきり繋がっているため、段階が変わるごとに彼女のキャラクターには新しい意味付けが生じるようになっている。その意外性は漫画を読み進める上で事後的に読者の中に生じていき、物語の深みを後から増していく。最終的には、ストーリー冒頭でエレンの母を食ったイベントはダイナの「必ず探し出す」という遺言に対応していたことが発覚し、当初の読みとは全く異なる皮肉な構図が完成する。

同様に段階の移行に応じて事後的に意味付けが変わっていく要素をもう一つ挙げてみると、例えば「立体機動装置という技術」もそうだ。
初期には巨人に対して唯一有効な武器として「人類の希望の象徴」だったが、対人戦が主となる中期には高い殺害能力を発揮し始め、その用途が全く変わってしまったことによって「人類同士が戦う悲惨な状況」を強調するようになる。そして後期にはまた打って変わって、資材も技術も限られたパラディ島内で巨人という異常な敵と戦うために何とか捻り出された武器であると再定義され、「パラディ島という歪んだ世界」を体現したガジェットになる。こうなると当初の華やかな戦闘でさえ実はエルディア人の悲惨な状況を暗に示していたのだと印象を変えざるを得ない。

ダイナにしても立体機動装置にしても、最初と最後で劇的に意味付けが反転しているのだ。ダイナは初期は恐ろしい最強の敵だったのに対して、後期には哀れな犠牲者となる。立体機動装置は初期は人類の希望の星だったのに対して、後期には壁内人類の貧弱なリソース状況を示す歪みとなる。
この二つは単に例として今パッと思い付いたものを挙げてみただけで、こうした意味付けの変遷を読み込むことは漫画内のほとんど全ての要素に対して可能である。「リヴァイ」でも「サシャ」でも「巨人化能力」でも「調査兵団」でもいい。各段階における評価軸の移行によって重層的な読みが体現される要素は、少なく見積もっても百個はある。暇だったら自分でも「この要素には各段階でどんな意味付けが与えられていたのか、テーマの変遷に応じて最初と最後でどのように変わってしまったのか」と考えてみてほしい。きっと無限に味がするはずだ。

そして、この緻密な複層的パズルをメタに象徴するのが進撃の巨人の未来視能力だ。
未来視能力は時系列と因果を無視して逆流したエレンの意志が未来からグリシャを動かすという凄まじいことを行ってみせる。これは各段階におけるテーマがあまりにも堅牢であるが故に時系列や因果関係を無視した程度では破壊されないという宣言でもある。
普通に考えれば過去のグリシャの行動が未来のエレンによって決まっていたというのはちゃぶ台返しもいいところなのだが、この漫画では圧倒的な説得力を持つ描写だ。グリシャがレイス家を虐殺したのは中期と後期の狭間で、基本的には善人であるグリシャは「国家という大義には殉じられる(後期の戦争には適合している)」割には「目の前の人間を殺せない(中期の利害争いには適合できない)」という微妙な立ち位置に立たされていた。そこで後期の戦争の世界から、他人の殺害を一切辞さないエレンが介入して肩を押したから事態が動くというのはテーマの要請から見て完全に筋が通っている。

最後にエレンが地鳴らしを発動してミカサが止めるという結末にも賛否あるようだが、これも極めて筋の通った美しい展開だ。エレンというキャラクターにおいても「何よりも自由を求める」というコアは常にブレておらず、各段階における状況変化の中で相対的にポジションが変わっていく。
初期には彼の自由志向は敵を倒して人類の解放を求めるいかにも主人公的なキャラクターだったが、世界がもっと複雑だったことが判明する後期には究極の排外主義として発現せざるを得ない。「壁の外で人類が生きてると知ってオレはガッカリした」という台詞は本当に天才だと思った。エレンのキャラクターからすると、島外のワチャワチャした政治や戦争だって彼の自由を制限するという意味で巨人と全く変わらない敵でしかない。だから泣いても謝っても地鳴らしは絶対にやるし、それはエレン自身の意志では絶対に止められない。

補足418:エレンの目的の本質をゼロレクイエムの変奏と読むのは誤りだ。それはオマケで生じた副次効果に過ぎない。エレンのコアは自由を貫徹することで、それはミカサやアルミンのような本当の理解者に殺害してもらう以外の方法では止まらない。

つまりエレンという自由を求めるキャラクターにおいても初期の主人公から後期のラスボスへという意味付けの反転を正当化するテーマの移行が含まれているわけだが、これはユミル(大地の悪魔と契約した方のユミル)というキャラクターとの関係、ひいては進撃の巨人のストーリー全体と完全に重なってくる。
初期の怪物漫画としての段階ではユミルが作り出した「巨人」とエレンが求める「自由」はそれぞれ対立するものとして描かれていた。エレンにとっては自由を求めるためには巨人が邪魔だから一匹残らず駆逐しなければならなかったのだ。ところが、中期にはエレンが巨人化能力を我が物としたことを経由して、人生を戦わせる後期で最終的には「巨人」と「自由」の二つは同根であることが明かされる。ユミルが巨人を作り出す行動原理は他人からは全く理解できない理不尽な愛によるものであったのと同様、エレンが地鳴らしを発動する行動原理も他人からどんなに否定されても絶対に止まらない理不尽な自由精神によるものだ。だからユミルとエレンは説明なしで一発で理解し合うことができるし、ミカサがエレンを殺すと同時にユミルも停止して巨人化能力も消滅する。
「巨人と自由の関係」というこの漫画をドライブしてきた一段メタな最大要素でさえも最終的には意味付けが反転し、同時に消滅することでこの漫画は幕を閉じる。うーん、やはりどこをどう読んでもストーリーテリングが卓抜しすぎている。

22/7/10 お題箱回100:タコピー、Youtube、シャボルヴなど

お題箱回100

438.カードショップってピーチの芳香剤を使いがちなイメージがあるのですが、理由に心当たりはありませんか

種類まで気にしたことはありませんが、果物系の甘ったるい匂いというのはわかります。たぶん悪臭を更に強い匂いで上書きするタイプの安価な芳香剤を適当に置いているのでしょう(高級な臭い消しだともうちょっとマシな匂いがするか無臭になるので)。

 

439.もう他の人からも来てるかもしれませんがLWさんのタコピーの論評が聴きたいです

タコピーは僕も毎週楽しみにしていました。
バズる作品にもたまたまバズる世界線を引いた作品とどの世界線でもバスってる作品の二種類がありますが、タコピーは後者だと思います。

とにかく週刊連載がめちゃめちゃ上手かったと思います。最終話以外外れ回が一つもなくて、毎週必ず一つは大きく事態を動かして話題性豊かな見せ場のコマをきちんと均等に作るペース管理が凄いなと思いました。
もちろん見せ場を作れるようなあらすじがそもそも優れているという内容面の良さは前提としてあるのですが、「優れたあらすじがまずあって毎週見せ場が生成されていた」というよりは、「優れた見せ場から逆算してあらすじを作っていた」という印象があります(たぶん他の人が同じアイデアとあらすじで漫画を描いてもここまで流行らないと思います)。

それはリアルタイムに感想が行き交うSNS時代への最適化であるとは思いますが、かといってこの手の作品に批判的な人がよく言う「作品そのものの魅力というよりはSNS上でコミュニケーションの種になることでバズっている(作品としては必ずしも高品質とは言えない)」という評価も少し外していると思います。
「コンテンツをリアルタイムで追うのが楽しいこと」と「皆でリアルタイムに話題にするのが楽しいこと」は大部分重なってはいますが別の話です。SNSから切断された個々人でも「先週の引きが凄かったから今日も0時になった瞬間にタコピーを開いて読んだ、今週も凄い見せ場があって来週も楽しみだ」という楽しみ方は普通に成立します。それがSNSで可視化されたり、結果的にSNSでの交流の種になっているだけで、コアはやはり「週刊連載が上手い」というところだと思います。

 

440.ブログのサムネ画像ってご自分で用意されてるんですか?お題箱94→97でめっちゃデザイン力上がってておおって思いました。

ありがとうございます。少しずつ進化しています。

saize_thumbnails

情報の種類ごとに色分けして列挙は左揃えにするのがポイントっぽいですね。

サムネイルは自分で用意しています。
はてなブログと提携しているCanvaとかいうサービスを使って生成していたのですが、何故か前回作成したサムネイルの情報を保存してくれず、毎回一から適当に作り直していたために回によってフォントも配置もバラバラになっています(試行錯誤したくてしていたわけではない)。
ただもう一から作るのが面倒になってきたのと、現状のデザインを評価する投稿も来たので、今はCanvaを使うのはやめて使い回しやすいパワポに移行しています。

 

441.英語を勉強される予定はありますか?
TOEIC高得点マウント、英語のコンテンツを英語のまま楽しめる、などが利点かなと思います。
ネイティブレベルで英語が使えるようになるためには何千時間という単位で時間かかる、みたいな話も聞くのでハードル高そうではありますが。。。

あんまりないです。

仰る通りやはり英語は上には上がいすぎて相対的にコスパが悪いのと、今でも論文のアブストとか簡単な技術記事くらいなら英語で普通に読めて実用上で困っていないからです。映画を原語のまま楽しみたいという気持ちもなくはないですが、吹替とか字幕でどうにかなる範囲です。

外国語をやるとしたら、英語よりは中国語か韓国語ですね。
もう萌え文化は中韓が日本を抜いてしまっているので、オタクコンテンツを楽しむのであれば中韓の言語含む文化を勉強した方がいいと認識しています(weiboの絵師を漁ったりしたい)。英語はスキルレベル10を11にしても大した旨味がないですが、中国語と韓国語は今0なので1にしたときの旨味がかなり大きいというのもあります。

 

442.マスターデュエルやってます?NRフェスはどうでした?

全然やってないです! そんなフェスがあったことだけふんわり把握しています。

最近はタイムラインで遊んでいる人も現役プレイヤー以外はあまり見かけなくなってきました。実況も減ってきていますし、たぶんそろそろ初動のフィーバーが終わってこれから固定ユーザー数がどうなるかみたいなフェイズなのでしょう。

 

443.世論と異なる意見を言っている人がいた時、その人が「独特な価値観を持っている人」なのか「何も考えず逆張りしてるだけの人」なのかを見分ける方法はありますか?
例えば100ワニを擁護している人がいたとして、その人が「独自の思想や信念、哲学に基づいて擁護している凄い人」なのか「世間が叩いてるから逆張りで擁護してるだけの雑魚」なのかを見分ける事はできますか?

単独で見てもあまりわからないですが、しばらくツイートを見れば何となくわかると思います。
「長期的に見ると主張している内容が矛盾している」とか「逆張り時に主張していることと普段のツイートで行っていることが一致しない」とか「誰でも言えそうなこと以上に主張を掘り下げることが一度もない」とかシグナルは色々ある気はします。

とはいえ、背景に一貫した思想がないとしてもとりあえずその場で誰も言っていないことを逆に張って提出できる人ってMTGとかだとけっこう重要だったりもするので、一概にしょうもない雑魚とは言い切れないところもあります(誰でも思い付いた上でわざわざ言わない程度の浅い逆張りしかしない人は擁護できませんが)。

 

444.V以外によく見ているYoutubeのチャンネルはありますか?

ハースストーンのチャンネルをよく見ます。このあたりの動画はだいたい全部見ています(敬称略)。

・tansoku

www.youtube.com

カードゲーム上手すぎ、使うデッキ面白すぎ、編集神すぎという全てを兼ね揃えたチャンネルです。初見の人は皆「喋り方オタクすぎてやばいだろ」って言いますが、それも含めて唯一無二の神実況です。

・masaru

www.youtube.com

昔から日本で概ね唯一のハースストーン女性実況者でしたが最近Vtuberになりました。カードゲーム自体がめちゃ上手いのとVtuberになるだけあって実況慣れしていてリアクションがプロです。

・モニキ

www.youtube.com

バトグラ専門チャンネルでバケモンみたいに上手い上に解説も丁寧です。更新頻度も高いため新戦略はこのチャンネルから供給されることが多く、バトグラをやるのであれば見ない選択肢はないです。

・ましわぎ

www.youtube.com

声が落ち着いていてかなり聞きやすく、毎日違うデッキの動画をコンスタントに投稿するので毎日楽しめます。とりあえず1日1本見られるベースライン系のチャンネルです。

・ガスキー

www.youtube.com

ハースストーン界でも数少ない実績ガチ勢の専門チャンネルです。他ではまず見られないスーパープレイを見られるのでとりあえず楽しめます。

 

445.LWさんって休日は朝何時ごろから活動されてますか?
資格の勉強しようと思っても休日は昼まで寝てしまうんですけど、朝から勉強するモチベーションの保ち方を教えてほしいです。

休日朝10時起きとかのことが多いです。朝6時半くらいに起きていたこともありましたが、最近不眠気味で早起きから逆算した就寝時刻にベッドに入っても寝られなくなってきたので諦めました。
目的は総活動時間をちゃんと取ることだと思うので、必ずしも朝早起きして活動しなくてもその前夜に翌朝分の時間を取って活動すればいいという方針です。朝三暮四という言葉がある通り、夜22~26時まで活動して翌朝10時に起きるのと、夜10時に寝て翌朝6~10時に活動するのは同じことです。

ただたぶん「朝起きること」と「勉強のモチベーションを保つこと」って別の話で、この投稿の本質は前者より後者のような気がします。
何度か書いていますが僕はシャドバのラダーを回すのと同じテンションで勉強できてしまう人間なので、朝起きれば勝手に勉強が始まるし夜更かししていても勝手に勉強が始まります。だから僕にとっては活動時間の問題でしかないですが、そうでない場合はモチベーションを確保する部分は別個にクリアする必要がありそうです。

 

446.サイゼミって参加資格とかあるんですか? 気になります!

特にありません。門戸は空けておいてヤバいやつが来たらキックを躊躇わない方針です。最近はやや参加者の増加ペースが早まっている気がします。

 

447.リアルシャドバの感想待ってます
DCGシャドバと比較して優っている点や劣っている点などを書いてくださると嬉しいです

全体的にDCG版からわかりやすい爽快感を消して正着が見えにくい玄人向けのカードゲームに仕上げている印象でした。ルール自体は大して複雑でもないのにプレイングは困難というデザインで、今の複雑なシャドウバースを遊べるかなり高位のカードゲームオタク層がターゲットだと感じます。

基本的にDCG版とは表面的な用語が若干似ているだけで、根本的なゲームシステムが全く違います。
シャドバエボルブと一番似ているのはデュエマで、置いたフォロワーは立っている限りは戦闘では殺されないために最低一発は殴れるという時点でDCG版とはかなり手触りが違います(DCG版はよくあるハント方式なので盤面を制圧されていると一発も殴れない)。

ただしデュエマと違うのは、「相手がいつでも進化からタップキルできる」というタップキル専門の切り返しがシステムレベルで内蔵されていることです。
これによってアタックには常に「後出しで取られる」というリスクが伴います。アプリ版は殴ろうが殴るまいがどうせ進化で切り返されるので殴るかどうかで迷うことはほぼないですが、紙版は殴らなければ殴られないので殴らない選択肢が常にあります(正確に言うと「横にしなければ殴られない」で、このために守護能力もあえて使わないことが正解のシーンが多いです)。
いつでも切り返されるリスクを想定しつつライフレースを管理しないといけないので良くも悪くもベースの難易度がかなり高いと思いました。ただそれは同人カードゲームによくある「無駄な難易度」ではなく、シンプルながらも駆け引きが熱いというタイプの良い難易度なので、やりがいがありそうですし今後のカードデザインの幅も広そうで好感触ではありました。

一つ大きな不満として、物理コンポーネント類の管理が異様に不便なことがあります。
いまどきマナ管理がおはじき方式なのは常軌を逸した仕様と言っても過言ではありません。毎ターンちまちま動かすのが面倒な上に物理的に小さすぎて相手が構えているマナも見づらいし、ちょっとズレたり忘れたりしただけで即ゲームが崩壊します。一回遊んだあとはすぐMtG式の土地方式に切り替えました。
バフデバフ管理も不便です。ATKとDEFが変動しやすい割にはそれぞれが独立に管理されているために多くのカウンターをカードの上に乗せなければなりません。カウンターが邪魔でタップも気持ちよくできないし、デジタル版の自動計算を無理やり持ってくる以外に何かやりようはなかったのかと思います。あとATKが青でDEFが赤という色分けも直観的ではなく、個々に乗せながら混乱しました。

22/7/2 【第12回サイゼミ】NP完全性について/有限性の後で

第12回サイゼミ

2022年6月19日に木場で第12回サイゼミを催した。
前回(→)もコロナ禍の影響で半年空いたが、今回もコロナ禍で更に半年空いた。

サイゼミのために大阪から来た人が二人も参戦しており、大阪勢が勢力を伸ばしている(これで大阪勢は三人目となる)。

NP完全性について

あの人気ブログ「みそは入ってませんけど→」のみそ氏が担当。

補足416:みそ氏とは今では普通に仲良くなっていてサイゼミにも割とよく来ているし、サイゼミ外でカードゲームで遊んだりもしているので、スペシャルゲストというよりはいつメン感がある。

「計算量クラッシュコース」と題された36ページもの解説資料が用意されていて気合が入っていた。ざっくり「計算量の概要→P問題とNP問題の区別→P≠NP予想→NP完全性」という流れで、定義した概念に対して定理を提示して証明を追うという割とオーソドックスな理系ゼミスタイルで進行する(例えばこれはNP完全性の二つの定義が等価であることの証明部分)。

miso_np

とはいえサイゼミは理系研究室ではなくオタクの集まりなので、理論的な基礎を踏まえた上で、工学的な応用よりは「結局この話はエンタメとしてどのように面白いのか」に関心があり、市販の解説書よりもみそ氏謹製の資料で説明を聞く価値もそのあたりにある。

具体的にはP≠NP予想のコアが「創作と批評はどちらが難しいのだろうか?」と表現されるところがそれだ。これが本質。

我々の興味がある言明P/NPとは、次のような言明である。

1. 決定問題に対する多項式時間のプログラムに関して、解くこと(solve)と検証(verify)の間には違いがあるのだろうか?
詩的な表現:創作と批評はどちらが難しいのだろうか?

 

(「計算量クラッシュコース」より抜粋)

理論そのものは各自で調べてもらうとして、多少の心得がある人向けにアナロジーについて軽く説明すると、多項式時間でsolveできるP問題が当初の問いを吟味した回答を提示するという意味での「創作」に、多項式時間でverifyできるNP問題が一つの作品に対して部分的に判断を加えるという意味での「批評」に対応する。
このアナロジーはなかなか使い出があるものだ。例えば現実的にはNP問題に対しては「verifyする証拠をどうやって一旦確保するのか(しかもなるべく正解であってほしい)」という悩みがボトルネックになるが、批評において「批評する対象であるところの一つの回答としての作品をどうやって一旦創造するのか(しかもなるべく有意義であってほしい)」という悩みが同じ位置に対応する。
ただしここで創作をsolveと見做していることには一つの飛躍があることは間違いない。批評をやる人は自分が創作するにしてもきっちり問いを立ててそれに対する解釈なり回答なりを与える方向で進みがちだが、創作全体としてはそれはどちらかと言えば少数派のやり方なのだろう。

2. 多項式時間のプログラムに関して、非決定性(Non-determinism)は何か役割を果たすのだろうか?
詩的な表現:常に正しい選択ができることは、どれほどよいのだろうか?

 

(「計算量クラッシュコース」より抜粋)

こちらはNPの定義において非決定性と検証が等価であることについて、これも詩的な表現が本質。
常に(多項式時間で)正しい選択ができる非決定性の計算機は一見すると何もかもを解決する万能の一手のように思われるが、計算量理論的には(多項式時間で)証拠をverifyできることと同程度の能力でしかない。

そして「これは結局まどマギマトリックスの話なんですね」というみそ氏に頷く。つまりほむらが問題を解決するために複数の可能世界を証拠として検証作業をブン回すことや、マトリックスのオラクルが尋ねられればその都度正確な検証結果を返すこと。計算量理論的には彼女らが持っている能力は常に正しい選択ができることと等価だが、彼女らはそれほど善い人生を送っているわけではない。何作もかけて色々な苦難を乗り越えなければならない程度には……

 

有限性の後で

メイヤスーの哲学書『有限性の後で』は俺が担当した。二人とも理系だがたまたま綺麗に文理に分かれていてバランスがいい。

俺のモチベーションは以前にブログで取り上げたときと同じで、「オモシロ哲学のワンランク上の理解をしよう」という目的を設定して解説した。

saize-lw.hatenablog.com

「ハイパーカオス」というメイヤスーの主張自体はいかにもポップ哲学で好まれそうなわかりやすく奇妙なものであるため、上辺だけ理解するのは容易い。ただ我々としてはメイヤスーをちゃんと読んでない人にはっきり差を付けられる程度には哲学史上の位置づけやロジックについてきちんと理解したいところだ。
実際、俺がメイヤスーを好むのは、彼がロジカルな戦闘民族だからだ。環境変遷を追った上で現状の問題を確認して自分の満たすべき勝利条件を明確化してから戦いを始めるやり方はゲーマーの攻略ブログにも似ている。たぶんMtGやったらかなり強いと思う。

メイヤスーの理論についてここで詳説はしないが、下記のサイトが非常によくまとめていてレジュメを作る手間がかなり省けた。

naruhoudou.com

あと千葉雅也の訳者解説も非常に丁寧なのでそれらを読めば内容的にはあらかた把握できる気もする。とはいえメイヤスーはわかりやすい割には熱い文章を書く哲学者なので、興味を持ったら本文を読んだ方が面白い。

色々と出た異論の中から印象的なものについて二点だけまとめておく。

まず第一に、ヒュームへのカウンターについて。
ハイパーカオスに対して即座に提出される「じゃあなんでビリヤードのボールは無垢だがふてくされた女に変身しないのですか?」という当然の疑問に対して、メイヤスーが答えとして持ち出す「再帰的な冪集合である可能世界群に対しては全事象が発散して定義できないので確率概念が適用できない」という論法はあまり頷ける気がしない。単に直観に別に合わないというのもあるが、この路線はどこまでいっても「確率概念を適用できない」という否定形の結論しか出ないため、突き詰めてもあまり有望な感じがしないのだ。
本来メイヤスーはこの問いに応答する義務はないはずだが(ハイパーカオスは法則が一見すると安定している状態も普通に許容できるから)、「そうはいってもあまりにも不自然だから」という人間的な理由で無理に反論を試みているように見えて少し苦しい。

第二に、当初の目的であったはずの哲学と自然科学の調停は実現したのかについて。
『有限性の後で』は祖先以前性に関する問題提起から始まり、終章でもプトレマイオス的反転について語っており、自然科学の権能を取り戻すことが一つのテーマであることは間違いないのだが、ハイパーカオスを擁立することでそれが果たされているとはあまり思えない。

補足417:講義中に一番ウケたのは「プトレマイオス的反転」というメイヤスーから相関主義者へのインテリ罵倒だった。

メイヤスーの議論は物理学者にとっては反駁可能なものではないため、彼らは否定はしないだろうが気にも留めないだろう(「仮にハイパーカオスが真だったとしても現在の偶然的な法則を研究するのが我々の仕事だ」と述べるのが最も妥当な態度のように思われる)。メイヤスーの戦略は何らかの実質から様相のレベルに退却して絶対性を付与するものとも解釈できるのだが、自然科学者の研究対象は様相ではなく実質なのである。
また、物理学者を見る哲学者の視線がアップデートされるともあまり思われない。ハイパーカオス以後の世界観では物理学者は「たまたま今有効な必然的に偶然的な法則について詳しい人たち」という位置付けになるが、この次の瞬間にでも崩壊するアドホックなポジションは当初の擁護対象とはギャップがあるように思えてならない。

 

ブログとか飲み会について

たまたま俺が更新するまでの時間が空いて他の人もブログを書いているので貼っておく。

hifumijus.hatenablog.com

note.com

飲み会では「最近ブログにお題箱と消費コンテンツしかなくね?(最後にアニメの単発記事書いたの一年前とかじゃね?)」と突っ込まれた。それは正しいが、今年はデータサイエンスをやる年になってしまったのであまりアニメ視聴が回復する見込みはない。

あとサイゼミ女人禁制説の話になるたびに同じ主張をしている気がするのだが、ブログに書いたかどうか記憶がないので一応ここに書いておく。
ホモソーシャル」というワードはTwitterではかなり適当に使われており、具体的には「①ホモソーシャルは良くない」→「②男がたくさん集まっているのはホモソーシャル」→「③男がたくさん集まっているのは良くない」という三段論法によって男しかいないコミュニティを無条件で攻撃できる飛び道具となっている。
だが、その運用は元々セジウィックフェミニズムの文脈で指摘した問題意識を把握しない浅薄な理解に基づくものであることは言うまでもない(元々のロジックはこの記事が割とよくまとまっている→)。確かにセジウィックが言うように、女性を蔑視することで成立している男社会(原義のホモソーシャル)が存在することは俺も否定しないが、それとは独立に、そもそも女性が通貨としてすら全く介在していない男社会も普通にたくさんある。それをホモソーシャルと名指すのは拡大解釈であり、批判の前提が成立しない。
これは観測問題でもある。女性が本当に介在しない男社会は、定義上、女性論者の目に入らない。よってフェミニズムの文脈で可視化されるのは難しいし、最悪の場合は「どうせ女性蔑視が根底にあるのだろう」と意図的に混同されるだろう。