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20/12/31 ゲートルーラーは「本物」かもしれない

Let's ゲートルーラー

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先日、元カードゲーマーたちで集まる機会があったので、つい先週正式に発売されたゲートルーラーのスターターデッキを購入してプレイした。
現在ローンチ時点ではスターターデッキには上級者向けの「魔竜召喚」と初心者向けの「妖怪&巨大ロボ」の2種類あり、とりあえず1つずつ買って戦わせることにした。

ゲーム開始まで

ルールわからない問題

まずスターターデッキを空けて驚くのは、デッキ以外のアイテムが何も入っていないことだ。
他のカードゲームであればルールブックやフィールドシートが入っているところ、ゲートルーラーでは代わりにQRコードを読んでアクセスしたHPでルールを把握するらしい。「さあカードで遊ぼう」と思った瞬間に皆が自分のスマホを見始める時間が発生していきなりテンポが削がれるものの、いまどきHPに載っている情報をわざわざ刷る必要はないという判断は理解できる。家庭用ゲームソフトだって紙の説明書は付けないのがデファクトスタンダードだ。

youtu.be

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公式HPで閲覧できる動画はこんな感じ。
フィールドシートが入っていない割にやたら複雑なカード配置にビビるが(その動画で使ってるシート入れといてくれよ)、池っち店長の説明自体はわかりやすい。とりあえずこの動画を見て、公式HPのルールページから「遊び方」を読めばゲームは始められそうだ。

gateruler.jp

だが、一戦も終わらないうちに「ルールわからない問題」が発生する。それも多発する。ルール不明点は例えば以下の通り(ちなみにこれらは最後まで解決しなかった)。

  • 守備ゾーンのユニットに縦置きの位相はあるのか
  • 守備ゾーンから攻撃ゾーンに移動する際にユニットはアクトするのか(そのターン殴れるのか)
  • ドライブした際に場が埋まっていて使いきれないカードはどうすればよいのか(場の既存カードを廃棄していいのか、単に墓地にいくのか、デッキの上に留まるのか)
  • 警戒を持つカードを自身の効果で移動させる際に守備カードと入れ替えてよいのか
  • 不要なユニットを墓地に送ることはできるのか
  • 不要なセットカードを墓地に送ることはできるのか
  • イベントのコストはいつ支払うのか
  • ウルガードしたカードが破壊を置換するとき累積ダメージはどうなるのか
  • 宇宙怪人リクルーターで一時的にコントロールを得るときに場の空きは必要か(場の空きがないときもコントロールを交換していいのか)

俺もカードゲーム歴は長いので、カードゲームのルールが複雑になりがちなことはよく理解している。恐らく「遊び方」に書いてあるのは本当に基本中の基本だけで、更なるルールについては詳しく説明した補足文書なりFAQなりが存在することは予想がつく(とはいえ毎ゲーム生じるような疑問は「遊び方」に記載しておいてほしかったが)。

実際、ルールページには以下の3種類の説明が存在している。

①遊び方:とりあえずプレイするための主要ルールやゲームの流れ
②ルーラールール:ルーラーという特殊なカードに関する個別ルール
③総合ルール:詳細なルールを全てまとめている

この中で最も詳しいのは「総合ルール」であり、上に列挙したような疑問点に関してはそちらを調べて解決すると良さそうだ。
だが、総合ルールはほとんど文字だけで40ページ以上に及ぶ契約書のようなpdf文書であり、1ゲームも完了していない状態で見てもどこに求める情報があるのか全くわからない(ちなみに総合ルールの表示は環境によって異なるようだ。スマホではpdfファイルだが、PCではHP上に埋め込まれていてもう少し見やすい)。
それに加えて、総合ルールは高度に体系化されているために拾い読みを許さない。最初から読み進めて全ての専門用語の定義を把握して初めて意味を成すものであり、集まって遊んでいる最中にそのコストを払うのはとても現実的ではない。

結局「総合ルール」に載っていないルールはそんなに重要ではないのだろうと判断してとりあえず暫定ルールを決めて遊ぶことになるのだが、そうして無視したルールが割とクリティカルに勝敗を左右することがすぐにわかり始める。
「もしこのルールが正しければ俺の勝ちだけど、違ったら負けだね」というようなゲームになってきて、正しい勝敗がわからない。本来ゲームとは勝ちを目ざして争う営みのはずで、そもそも正しい勝敗がわからないストレスはなかなかのものだ。

テキストわからない問題

また、とりあえず暫定ルールを決めても「テキストわからない問題」が立ち塞がる。
テキストに書いてあるキーワード能力が複雑とか難しいというレベルではなく、説明のない初見の専門用語が多用されるので、藤井聡太でも理解できない。例えば「魅入られし異才 ヨハン」の効果テキストは以下の通り。

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深淵召喚 通常:これを墓地に置く。そうしたら君の墓地からアビスシンフォニアを持つユニットを1体、その条件を満たすことで特殊召喚してもよい。

太字部が「遊び方」には記載のない用語であり、初見で意味不明の用語が立て続けに3つ登場する。「アビスシンフォニア」が何なのかわからないので「その条件」とやらがどこに表記されているのかもわからない。
軽くルールを調べる用途では「総合ルール」は役に立たないことが既にわかっているので、公式HPの情報提供は諦めてGoogleTwitterやnoteでキーワード能力を調べることになる。皆でしばらくスマホと睨めっこして、プレリリースや体験会からのプレイヤーが残してくれた説明を発見し、要するに「深淵召喚」とはリアニメイト能力のことで、「アビスシンフォニア」が蘇生可能なカードだということがわかった。
だが、公式HPの説明ではないので詳細に関しては不明点が多く、更なるルールの疑問が積み重なっていく一方だ(これらも最後まで解決しなかった)。

  • アビスシンフォニアの条件として深淵召喚で墓地に送ったカードを選べるのか
  • アビスシンフォニアの条件が闇5枚の場合に、墓地に闇4枚の状況で深淵召喚を持つ闇であるカードを墓地に送って深淵召喚できるか
  • 荒塵王が深淵召喚されたときの1回復で取り除くダメージカードは自由に選べるのか
  • 荒塵王が深淵召喚されたときの1回復で取り除くダメージカードはデッキに戻すのか墓地に置くのか使用不可能なカードとして除外するのか

キーワード能力の説明不足により、もはやカードに書いてあるテキスト全体への信頼が失われていた。スターターデッキに入っているカードのキーワード能力すらほとんど説明しないのならば、他にも「ルール上重大な含意のある専門用語」が注釈無しで使用されている可能性が拭えないからだ。もうテキストを読んでも無駄というか、最大でも80%くらいの正確さでしかテキストを解釈できない。

このあたりでゲートルーラーというゲームを正確に遊ぶことを諦め、「とりあえず今ゲームっぽく楽しく遊べればそれでいい」というスタンスに変わった。
それはそれで遊びとしては楽しいというか、小学校に通っていた頃を思い出す遊び方ではある。小学生の時分は正確な遊戯王のルールが誰もわからないために表側守備表示で「ルイーズ」を召喚したり、「スケープ・ゴート」を「魔法除去」で無効にしたりしていたものだ。
「あの頃のように、仲間たちと遊ぶカードゲーム」というキャッチコピーはそういうことなのかもしれないという説もある。

デザインが視認しにくい問題

ここまで妥協に妥協を重ねてルールとキーワード能力を何とか片付けたはいいが、今度はなんだかイマイチゲーム自体が進行しづらいというか、やっていることは単純なのにいちいち細かい確認が挟まってゲームが小気味よく進まないことに気付く。
このテンポの悪さはどこから来るのかと考えたとき、カードデザインが見づらいのでいちいち情報把握に時間がかかるという問題、「デザインが視認しにくい問題」に思い至る。その場で出た意見は以下の通り。

  • ルーラーが上からHP・ATK・STKの順で表記してあるのに対し、ユニットはATK・HP・STKの順であり、戦闘によって用いる数値が違うのでどれを使うべきかわかりにくい
  • アビスシンフォニアでよく参照する「闇」という属性(?)の表記が右上に非常に小さく書いてあるだけでわかりにくい
  • CNT表記が小さい上にユニットとイベントで書いてある場所が異なるため確認しにくい(カードを捲ったときにそれがCNTかどうかの確認にいちいち時間がかかるせいで「CNT引いた!」という盛り上がりが殺される)
  • 効果テキストとフレーバーテキストが同じ色で小さく並べて書いてある上に効果テキストがフレーバー(技名)から始まるので効果とフレーバーを区別しにくい
  • ダメージ量がカードの束で表示されるので終盤に10枚くらいあるといちいち数えるのが面倒くさい
  • イベントカードが横向き印刷のせいでテキストを読むためにカードを横に持つ必要があるしイベントを引いたことがバレる

カード情報が完全に頭に入るまでプレイすれば慣れるのかもしれないが、一日プレイしたくらいではまだカードの内容を確認する必要があり、このあたりの視認の鬱陶しさから逃れることはできなかった。

ゲーム内容

「ルール」「キーワード能力」「カード情報」を必死に処理してようやく肝心のゲームプレイに辿り着く。しかしこれだけ準備した割には別にそれほど面白くない。

まずシンプルに駆け引き要素があまりなく、「上手くやっている感」が得られないためにプレイに伴う快感がほとんどない。基本的にデッキの上にあるカードを毎ターン全部バラ撒いて使っていくだけなので、ちょっと複雑なくじ引きをしているような感覚だった。

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一応注意しておくが、別に運ゲールーラーこと「アプレンティス」のことだけを指してそう言っているわけではない。「手札がなくトップで引いたカードをコストを踏み倒して使用する」というルールでゲームを行うことが非プレイヤーにまで悪目立ちしているが、もう一体のルーラー「ナイト」もやることは大差がない。
「ナイト」も基本的にカードを手札に温存する余裕がなく、ドローで引いたカードをとりあえず全部使い切って手札0枚になりがちだ。マナを使う割には、マナを増やす手段がない上に召喚権も限られているというちぐはぐな設計によって、手札を温存したところで使う機会があまりないからだ。

また、プレイしていて面白くないだけでなく、ユニット戦闘やダメージ計算のような他のシステムもどこかで見たようなルールばかりで、「これは新しい」と思うものは特になかった。実績のあるシステムが多いためプレイに違和感はないものの、ゲートルーラー以外のTCGでも同じようなゲームが出来るのに、ルールもよくわからないゲートルーラーでやる必要は特にないと感じてしまう。「デッキによって基本ルールが異なる状態で対戦する」という試みもアンリミテッドヴァーサスがもう既にやっているので、ゲートルーラーが初というわけでもない。
ちなみに発売前PVでは遊戯王とDMに言及していたが、ルーラーの扱いやダメージシステムはヴァイスシュヴァルツ、カオスTCGヴァンガード等のブシロード系列のカードゲームに近い。

補足369:コメントで「ゲートルーラーに先んじて異種格闘ルールを実装していたらしい『アンリミテッドヴァーサス(UVS)』って何やねん」という尤もな疑問を受けたのでここで補足する(UVSは大して流行らなかった上にサ終も早かったので調べてもほとんど情報が出てこない)。UVSはゲームを中心としたキャラクターコンテンツを一堂に会して戦わせるコラボ版権TCGで、『閃乱カグラ』『ブレイブルー』『ネプテューヌ』あたりの作品が参戦していた。「ヴァイス」等と違ってUVSが独特だったのは、作品ごとにゲームシステムが異なっていた点だ。具体的に言えば、『閃乱カグラ』のカードと『ネプテューヌ』のカードではシステム自体が異なるためそれぞれのカードを混ぜたデッキを作ることは出来ないのだが、『閃乱カグラ』デッキと『ネプテューヌ』デッキで相互に対戦はできるという仕様だった。ただし、この仕様は「版権タイトルごとの独自性を表現する」というトップダウンの要請から来ているものであって、ゲームメカニクスから作られたシステムではなく、はっきり言ってしまえば別にカードゲームとして面白いものではなかった。実際、「異種格闘が一応成り立たないこともない」程度の評価が実情であり、カード種類数が多い『閃乱カグラ』だけが他のタイトルよりも圧倒的に強く、大会は使用可能タイトルを一つに絞って開催することも多かったと記憶している。よってシステム的な完成度で言えばゲートルーラーのルーラーシステムには大きく劣っており、歴史的事実として「一応UVSというカードゲームもあった」という記録を提示するに留まる。

ゲームプレイを終えて

「ルールはよくわからないし特に面白くも新しくもない」というのがスターターデッキを購入して遊んだ上での素朴な感想ではある。

もしこれが素人が適当に作った同人カードゲームならここでこの記事を終えるのだが、ゲートルーラーに関してはまだ投稿ボタンを押さずにしばらく考え直す程度には侮らない理由があり、それは池っち店長への信頼である。

アンチ云々のくだらない論争に巻き込まれるのはダルいのでここではっきり言っておくが、俺は少なくともゲームクリエイターとしての池っち店長のことは高く評価しているし、さしあたりゲーム内容を評価する局面では池っち店長の存在はプラス方面にしか影響しない。
カードゲーム産業の第一線で販売から制作まで手広くこなしてきた彼のカードゲーム知識は本物だろうし、単に池っち店長がヴァイスシュヴァルツを知らなくてヴァイスシュヴァルツみたいなものを作ってしまったということは有り得ないと思っている。俺はそこまで池っち店長を甘く見ていないし、僅かな評価点からゲートルーラーが持つ真のポテンシャルを発見しようと試みるのも吝かではない。

スターターデッキがつまらないのでは?

遊んだ中で唯一出てきたポジティブな声として、「ルーラーを変えればもっと色々できそうな気配はある」「ルーラー次第ではもっと面白くなるかも」という拡張性を評価する意見があった。
確かに、ルーラーに関する自由度と拡張性には特筆すべきものがある。ルーラーによって指定される可変の要素はデッキ構築ルールからターン中の行動に至るまで極めて多岐に渡り、デザイン空間は他に類を見ないほど広い。

そして、この「デザイン空間の広さ」という明確な強みは当然ながらスターターデッキでは全く活かされていない。スターターデッキで使用できるカードはルーラーを含めて完全に固定されており、そこにある以上のカードデザインが目に入る機会が一切ないからだ。逆に言えば、スターターデッキに形だけでも拡張用パックを3つほど付けておいて、それしか買っていないユーザーでもデッキを組み換える余地があるようにしておけば、プレイ体験もだいぶ違ったものになっていたように思う。

総じて、ゲートルーラーがつまらないというよりスターターデッキがつまらなかっただけという可能性はある。スターターデッキを買って遊んだ感想が最悪だったのは、ゲートルーラーの強みとスターターデッキという商法が破滅的に噛み合っていないからなのかもしれない。

ルーラーのデザイン空間

実際、ここまで批難してきた数々の不満点についても、主にルーラーによって担保されるデザイン空間の広さに注目すれば、一貫したコンセプトの表現として納得できる点は多い。

gateruler.jp

例えばルーラールールの詳細ページを見れば、「攻撃ゾーン」「守備ゾーン」「セットゾーン」の数字まで指定されていることがわかる。それらはスターターデッキのルーラーではたまたま一致していたが、本当は攻撃用や守備用として使えるユニットの数も変動する対象なのだ。カードの配置を指定するゲームフィールドもこれから出てくるルーラー次第では変わりうるということになる。
それならスターターデッキにフィールドシートを入れなかったことにも納得がいく。フィールドが固定されたものではなくルーラールールで変動する以上、フィールドシートを入れても別の配置を使うルーラーでは使えないことになってしまうからだ。それだけではなく、最大限好意的に見れば「ゲートルーラーのコンセプトにそぐわないが故に封入を避けた」という一貫した思想が背景に伺える。

フィールドシートを封入しない背景に「システムを確定させないことで拡張のためのマージンを取っておきたかった」という事情があり、それが初見でのわかりにくさに繋がっているとすれば、こうしたトレードオフはルール解説にも見出せる。つまり、ルールがわかりにくい理由として、(もちろん説明や導線が不親切なことは前提としても)確定したルールは最低限にしておきたいという都合もあっただろう。
まずゲートルーラーのルールには、ルーラーによって不変の「共通ルール」と、ルーラーによって可変の「ルーラールール」の二つがある。このうち、構築による拡張性を確保するために有効なのは後者だけだ。よって、「拡張性が高い」というゲートルーラーの強みを活かすのであれば、「ルーラールール」の裁量を大きく取り、その分だけ「共通ルール」の裁量を小さくしておく必要がある。一般的なルール説明である「遊び方」に記述できるのは相対的に貧弱な「共通ルール」だけなので、初見のプレイヤーにはゲームのプレイが難しくなるという構図がある。
よって、「遊び方」にルールの一部しか記載しない不明瞭さについても、単なる不親切ではなく思想的一貫性の表現という解釈も不可能ではない。これから変動する可能性のあるルールを基本ルールとして提示してしまうことは、「ルールの拡張性」というゲートルーラー最大の強みを誤認させることになるからだ。

更にルーラーごとに設定された「デッキ構築ルール」も、一見したときの窮屈な印象とは裏腹に、構築戦でのデザイン空間の広さを活かす工夫として理解できる。
「デッキ構築ルール」とはルーラーごとにかけられたデッキ構築の制約であり、使用可能クラスからデッキ枚数に至るまで複数の条件に合わせてデッキを組む必要がある。「制約に違反がないかのチェックが面倒でトラブルも起きそうだしもっと自由に構築したいなあ」というのが素朴な第一印象であったが、この制約によってデッキ構築の幅が飛躍的に広がることは疑えない。

「自由度が低いほど構築の幅が広がる」というロジックは一見すると矛盾しているようだが、「制約条件が増えることによって最適解が見えにくくなる」と言い換えれば伝わるだろうか。
一般的に言って、カードゲームで強い構築は複数の条件を満たしている必要がある。具体的に言えば「強いカードが入っている」「強いコンボがある」「マナカーブが整っている」「環境上の立ち位置が良い」などがそれだ。これらは同時に満たせることもあるが、基本的にはトレードオフである。例えばコンボで強いカードは単体では弱いし、環境的に強い尖ったカードは汎用性が低い。やや大雑把なイメージではあるが、こうした条件への適合度を足し合わせた総合評価をMAXにしたデッキがその時点で最も強いデッキと言っても良い。
ゲートルーラーの場合、ここにルーラールールによって強制的な制約条件が更にいくつも追加される。「デッキレベル上限」「CNT上限」「所属クラス数」等、構築を大きく縛るものが多い上に、これからいくらでも追加できるだろう。こうした制約によって「一つを強く取ると他が弱くなる」というトレードオフの関係が更に増え、複雑度はどんどん増していく。個々のカードやコンボの強さだけではなく無数の制約に鑑みた上で構築を決定する必要があり、一枚のカードを入れ替えるだけでも様々な条件から来る総合評価が変動するため、デッキ構築の可能性はより多様なものになり得る。

こうした「制約の追加によって構築の多様性を確保する」というアプローチは、近年カードゲーム界全体が直面している「環境解明早すぎ問題」に対する一つのアンサーでもあり得るだろう。
というのは、SNSが普及して情報交換が超高速化した結果、ユーザーコミュニティが新弾リリースから1週間かそこらで「構築の最適解」に辿り着いてしまい、それをコピーするのが一番強いので構築を練る余地が無くなってしまうという問題である。いまやデッキ調整とは、せいぜい十数種類のアーキタイプから立ち位置が良さそうなものを選び、完成されている構築のテンプレートから2~3枚の自由枠をチューニングする程度のものに成り下がりつつある。
各種TCGでは構築の固定化を避けるために様々な試みを行っており、MtGでは緩やかにメタカードやカウンター戦略を常備してメタゲームの読みと変遷に競技性を見出したり、遊戯王ではカードテキストやシナジーの難易度を莫大なものに引き上げることで解明速度を遅らせたりするなどの対策が行われている。
以上の問題意識を踏まえるならば、ゲートルーラーのアプローチもルーラールールの調整によって「構築にかかる制約条件の強制追加」という手法でデッキの評価関数を複雑にして環境解明を遅らせる、ないしメタゲームを複雑化させるものとして解釈できる。

なお、こうしてルーラーから与えられる制約条件はカードデザインにもかかってくる。つまり、構築段階でのカード選定だけではなく、各々のカードに記載されている情報に関しても複数の潜在的な条件に対応することで多元化した評価軸が与えられ、カード評価も難解なものになってくる。
その典型例がマナコストで、スターターデッキで遊んでいる最中にはマナコストがどういう基準で設定されているのかよくわからなかった。マナコストの支払いに困ることはほとんどない割には0コストのカードが普通に強かったりもして、一般的なカードゲーム感覚で言うと適当に付けたとしか思えないような意味不明なコスト設定が頻出していた。
だが、それもルーラールールによって構築条件として参照されることを想定しているならば理解できる。つまり、ゲートルーラーのマナコストには「ゲーム中の支払いコスト」と「デッキ構築にかかる条件付与」という最低でも二つの重要な役割がある。こうして各種情報は基本的なものですら多元的にデザイン・評価されることになってくる。その際に用いられる評価軸はルーラールールの数だけ有り得るため、新規ルーラーの登場によって事後的にも大きく変動していくことになるだろう。

構築とプレイの分離

ここまで見てきたように、ゲートルーラーには「複雑さに起因する面白さを構築戦に全振りする」という思想があるならば、プレイが簡単すぎてイマイチ面白くなかったことに関しても一貫した正当化が可能になる。

「環境解明早すぎ問題」の続きに話を戻せば、ゲートルーラーの「構築条件を難しくして構築難易度を上げる」というアプローチは、一見すると「カードテキストとカード間の関係を難しくして構築難易度を上げる」という遊戯王のアプローチにも似ている。しかしゲートルーラー側の明確な優位点は、「カードゲームとしての難易度が構築にのみ押し付けられているので、プレイは相対的に簡単になる」という点だ。構築の難しさがプレイの難しさにまで響かないと言い換えてもいい。
既に書いた通り、少なくともスターターデッキをプレイした限りではゲートルーラーのプレイ自体はかなり簡単なように思われる。アプレンティスを筆頭に、引いたカードを適当にピシピシ投げつけていればゲームが成立するからだ。だが、本当の戦いがデッキ構築の水準で行われるのであれば、プレイがシンプルであることは特に問題がない。ゲームプレイが駆け引きが無い淡泊なものに思われたのは、本当の駆け引きはデッキ構築で行われるからではないのか。

「構築は上級者向けで難しい」「プレイは初心者向けで簡単」と遊ぶ段階で難易度のレイヤーを切り分ける構成が極めて優れるのは、これがゲーム全般が持つ「複雑すぎると初心者が参入できないが、簡単すぎると上級者がすぐに飽きてしまう」というジレンマに対するアンサーとなるからだ。
このジレンマもやはり「環境解明早すぎ問題」と深く関連する。現実的に考えて上級者がほとんどいないor上級者の影響力が低いようなカードゲームは有り得ず、その上級者が爆速で環境を攻略してしまう以上、基本的にはトップ層に合わせて難易度は上がり続けるしかない。これも各種TCGが対策を試みているポイントであり、遊戯王は複雑化しすぎた本編を切り離してラッシュデュエルとしてシステム自体を再構築したし、MtGはレアリティに応じてテキスト難易度の許容度を変えることで初心者と上級者が触れるカードの複雑さを区別している。

これらとは異なる選択肢として、ゲートルーラーは構築とプレイで複雑さを変えるというアプローチを取っているのかもしれない。
デッキを構築するのはそれなりにカードを集めている中級者以上で、参入するかしないかの初心者はプレイしかしないという想定はかなりリーズナブルなものに思われる。それぞれがただ気の向くままに遊んでいるだけで勝手に両者に対して適切な難易度の面白さを担保できるのであれば、これほど理想的な対策もない。
対戦シーンにおいても同じことが言えそうだ。PVで「手札が無いからトップ勝負で配信が盛り上がる」という売り文句を見て「トップ勝負しかないゲームが盛り上がるわけねえだろ」と思っていたが、初心者と上級者で見ているものが違うことは大いに有り得る。初心者がデッキトップ勝負を見て盛り上がる一方、上級者が「あのカードがあの枚数入っているとは」と構築を見て驚くことができるようなシーンは十分に想定できるように思われる。

ゲートルーラーのポテンシャル

ここまで書いてきた内容をまとめると以下の通り。

  • スターターデッキ対戦はルールわからんし新しくも面白くもなかった
  • だがその不満は拡張性という一貫したコンセプトの表現として正当化できる
  • 恐らくスターターではなく構築戦が非常に面白い
  • ルーラーによる新しいアプローチはTCG界が直面している種々の問題へのアンサーで有り得る

総じて、ゲートルーラーはTCGを革命する本物の革新的プロダクトである可能性は十分にある。

ただ、主に「デザイン空間の広さ」による革新性が十全に発揮されるまでには、それを十分に探索する時間が必要になることは付言しなければならない。本当にゲートルーラーの真価が明らかになるのは、将来的に何弾かのパックがリリースされてルーラーとルールの多様性が確保されたときだろう。
また、俺がスターターデッキを投げ捨てそうになったように、真に革新的なプロダクトは古いパラダイムではその価値がわからないものだ。適切な評価にはパラダイム自体の乗り換えも要求される。ゲートルーラーが評価される新しいパラダイムが普及して本当のポテンシャルが発揮されるまで、ゲートルーラーが生き残るかどうかはわからない。

もしかしたら池っち店長はスティーブ・ジョブズでゲートルーラーはiPhoneで、その革命的価値をもう理解できた人とまだ理解できない人がいるフェイズなのかもしれない。
いずれゲートルーラーがそのポテンシャルを発揮し、革命的な面白さが周知されることを期待したい。

オマケ:世界観について

ここまでの話とは全然関係ない話題として、最後に世界観について触れておきたい。

フレーバーテキストは字が小さくて読みづらいのでゲーム中はほとんど読んでいなかったのだが、さっき目を通した感じはかなり面白いと思った。怪異とロボットのような異種のものを組み合わせる試みは十分成功している。巷では寒い寒い言われている変な捻り方をしたテキストも俺は独特で魅力的だと思う。

ただ、俺がゲートルーラーの世界観を面白いと感じるのは、それが「ホビーアニメ的な子供っぽい世界観だから」であることは付け加えておかなければならない。
どこまでいっても俺の主観的な評ではあるが、ゲートルーラーのカードはどう見ても「子供向け」だし、普通に「萌える」。例えば「白骨姫」はかなりレベルの高い萌えコンテンツで通用しそうな強度を持つし、イケメンの「ジョー」とイケおじの「リッパー」が次元を超えて激突する「刹那の攻防」のイラストとシチュエーションは腐女子的にかなり熱い。

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率直に言って意味不明なのは、ゲートルーラーは公式には「子供っぽくないし萌えでもないから大人でもプレイできる」という路線を目指しているらしいことだ。パンフレットか何かに書いてあった「大人が会社でプレイできるカードゲーム」という売り文句は輪をかけて意味がわからない。常識的に考えて、オタク色の無い職種で会社の昼休みにゲートルーラーをやるのは無理だろう(別にゲートルーラーだから無理と言っているわけではなく、遊戯王もDMもMtGも無理寄り)。
池っち店長はカードゲームやその周辺のサブカルチャーに関しては圧倒的な才覚とキャリアがあるし、少なくとも俺はその手腕を期待している。別にメインカルチャーとしての美術的・芸術的知識があるわけではないだろうし、それには期待していない。

全体的にゲートルーラーが回避しようとする「萌え」や「子供向け」に対する感性はちょっと古いというか、それらのワードで想定する対象が20年前くらいの水準で止まっているように思えてならない。
恐らくそれは代表的萌えカードゲームであるところの「リセ」「ヴァイスシュヴァルツ」「カオス」等が古いギャルゲーの文法に支配されていたことと無関係ではないだろう。この手のカードゲームは昔はほとんどギャルゲー版権ないしギャルゲー絡みのイラストレーターの寄与で成立しており、「目が大きい」「胸がでかい」「頭身が低い」というような古典的萌え文法が萌えキャラを構成していた。
ただ、この手の古典的萌え文法は2010年代にはめっきり衰退したと俺は認識している。その代わりに今ではグラブルのような頭身が高いリアル寄りの萌え絵が台頭しており、白骨姫もその文脈の上にある。白骨姫は20年前の基準で見ると萌え絵ではないが、今の基準で見ると萌え絵の中央道をブッチ切っている。
また、「子供向け」というフレーズの感触も20年前とは大きく様変わりしている。オタク文化が普及した結果、20代30代の「大人」が楽しむコンテンツにも子供向けの意匠は無数に流入するようになった。その典型はアメコミであり、子供向けでしかないコスチュームや武器をほとんど変えることなくアベンジャーズバットマンが大人の視聴に堪えうるものとして消費されている。
そういう事態を「子供向けのものが大人にまで広がった」と表現するか「子供向けのものが大人向けに変質した」と表現するかは些末な問題でしかない。ロボや怪異といった意匠を「子供向けか否か」という基準で管理しようとすること自体がナンセンスであり、そんなことを気にせずに面白いと思うものを提供してくれればそれで良いと思う。

いずれにせよ、俺が邪推するような認識のズレがあるのか無いのかはともかくとして、今のところゲートルーラーが不服ながらも(?)オタク受けしそうなデザインになっているのは事実であり、この路線を続けてくれた方が俺はありがたい。